漫画の感想など (ワンダンス他

 

■ワンダンス

f:id:Zumasawa:20210222203237j:plain

www.amazon.co.jp

同作者の「のぼる小寺さん」が書籍と電子両方揃えるくらいには好きだったので(正直作品としての完成度が本当にそこまで高いか?と言われれば首を横に振ってしまうのだけれど、とにかく好みだったからとしか言えない)、つい昨日電子で読んだ。最新コミックスが終わると即座にコミックdaysで課金して最新話まで追いついた。

 

この作品には登場人物の不快な雑念が存在しない。あえていうなら、不快な雑念は早々に取り払われてしまうか、あるいは異なる感情と複合され簡単には言い表せないなにかへと変質してしまうのだ。

 

恐らく来月発売のコミックス5巻に収録されるであろう箇所で言及されている、自分にとってかけがえのない対象への誠実さが俺には本当に本当に本当にマジで核心を突かれており、俺の好きな小説家の作中内の発言を拝借するなら、頭の天窓が開いたおもいをさせられた。

 

自分の好きなものに対して誠実であることがこの作品では貫徹されていて、それにあたらない態度は作中内のバトル寄りガチキャラから「チャラい」「あんなの」と揶揄されることさえある。ただそれに迎合してバトルこそ至高となってしまえば一級マッチョ作品止まりだが、本作ではバトルを通じて得られる、感じられる確かなものに重点が置かれている。

 

正確には得られるものの方に重点を置いている人物もいれば、バトルの勝敗を最重要視している人物もいる。いろんな考え方の人物がいて前者が主人公なのだけれど、その主人公も作中の展開でとある理由から勝つことにも本気になったりなどする。

 

ゴチャゴチャ書いてしまったので話を戻すが、本作で繰り返し描かれているのは自らが好んで取り組んでいるものへ誠実に向き合うことの重要さで、やはりこれこそがコアなのだと強く感じるし、まあブッ刺さってしまった。これまで読んできたスポ根漫画と何が違うんだよ?と言われてもまだうまく説明できないが、最低限自分のなかでことばにできるようにはしておきたい。

 

なぜそこまで刺さったといえば、個人的な体験として、この誠実であるべき対象を見失ってつい最近までずいぶん苦しんでいたからだ。というか今も苦しんではいるし多分みんな現在進行形で苦しむテーマなんじゃないかと思うが、とにかく輪郭を掴み取ることはできた段階にある。

 

かつては3D格ゲーこそが自分にとって誠実でなければならないその対象だった。リアルのステータスとは一切関係してこないにも関わらず、それは掛け替えのない輝かしい闘争の感覚を俺に与えてくれたし、今でもその熱を思い出すことがある。

 

ただ人間は変化し続ける生き物であって、特に対戦ゲームの場合、昨今ではナンバリング等の変更が入ったりとかもするわけで、熱の喪失だってとうぜん発生する。特に2019年以降は魂の放浪がひどかった。たまに昔全身全霊を託すことのできたなにかに一瞬触れることができたような感覚をおぼえても、翌日にはいや、結局俺は真顔のままだ、義務でやっているような気分になっている、と自分の手を眺めたりなどしていた。これに対してだけは誠実でなくてはならないと確信できる対象が無い人生は退屈なものだ。

 

どうでもいい個人話が続くが、こうした興味がうつろう流れ自体を老化現象の一種とされることがある。俺は懐疑的だ。人間は価値観にせよなんにせよ常に変化にさらされつづけていて、その中で変わらない部分もあるというだけのことにすぎない。俺にとって本当の老いとは、この自分にとっては不本意なこともある感性の変化を受けたあと、誠実に向き合うことができる新たな対象、あるいは領域の捜索を放棄することだと考えている。不本意と仲良くするというのは不本意に満足することではないし、不本意で妥協することはまったく違う。

 

 

ごちゃごちゃと自分語りが続いてしまったけれど、まあそういう文脈でこの漫画がかなり好きです。

 

個人的にお気に入りの場面は恩ちゃん部長とのバトルをうながされてすぐさま立ち上がるカボ

f:id:Zumasawa:20210222202229p:plain

f:id:Zumasawa:20210222202235p:plain


 

 

このいつも窮屈そうに身体をちぢめている巨漢がフルパワーを発揮せんと立ち上がる瞬間と立ち上がったあとのでけえ背中、何気ないコマなのにめちゃくちゃカッコ良い。

 

■呪術廻戦

なんといっても0巻がぶち抜けて良い。

一見人畜無害な乙骨の人間性がむき出しになる夏油による襲撃からの展開は圧巻で、

あの一連の流れに未曾有の火薬が詰め込まれているといっても過言にはあたらない。

 

友人を傷つけられた乙骨は比類なき殺意を発しながら絶対的な力を示す。肝心なのは、この圧倒的強者が戦闘で避けられない相手の殺害を憂うのではなく、自身の方針を貫き通すために必要な行程とみなしていることだ。『HELLSING』でアーカードが人間をやめようとするアンデルセンに向かって「人間のままのお前にだったら負けてもいいと思っていたのに」みたいなことを語りかけていた。作中の切ない場面なのだが、もしかすると俺はアーカード以上にかなしんでいたかもしれない。絶対的な強者が相対する存在に級位を合わせようとしてしまうのは悲劇だ。力は存分にふるっていただきたいものだ(ただの俺の思想)。

 

その点で言うと乙骨はすばらしい。幼少期の他者への強烈な想いがその根底にあって、やると決めたことに躊躇が無い。戦いを楽しむ気持ちすらなくて、ただ自分の好きな人を害した存在は殺さなければならないという想いだけがある。

 

フィクション作品の強キャラってある種の制限をかけられることが多い。他人を守ることを優先するようになって以前より弱体化した扱いをされたりとか、地力が高すぎてメンタルをもとに強さをコントロールされたりしてしまう。

 

0巻乙骨は落ち込むどころかマジギレに達した。

五条も回想では護衛対象を殺害された直後でも戦いの心地よさをたのしんでいた(まあその後結局メンタル攻撃で追い込まれてしまうのだが)。

 

そういうところを書いてくれる点と、パ・・・描写を「虎杖はそういう人物だから」で修正せずに通してくれるようなところが気に入っているので、いちおう本編も電子ジャンプで展開を追っている...が、正直なところまだ0巻で感じられたほどの昂ぶりにはまだ至れていない。

 

チェンソーマン

好きなポイントは複数あるが、本当にデンジが良すぎたからこそ完結まで読んでいた。

 

一番のお気に入りは夢バトル。

 

 

物騒な存在が本当に物騒になれるのは明確な目的意識を持っているときに限定される、と考えている。

 

そのへんの建造物とか通行人に攻撃したり刃物をペロペロしたりしてるだけのキャラがこいつは狂暴なので狂暴キャラです的描写があんまり好きでは無くて、目標や目的に対する純粋さ、愚直さの結果としてうまれる物騒さが好みだ。

 

この場面の直後、結局ボコボコにされてもなおこういう態度なのが好き for マジ

 

 

粗暴さの陰に繊細さが隠れているのも含め、デンジは人生のオキニ男キャラbest5にはいる。

 

■アクタージュ

例の事件以来まるでもともとどこにも存在していなかったのような空気になったのが悲しいのであらためて書いておきたい。いや多分俺が勝手にそう思い込んでいるだけなのだが.

 

作品についての感想だけを記すならば、常に道を切り開いて見せた、その鮮やかさがとにかく白眉だった。絵の絢爛さと見事な作劇のマリアージュ。そりゃファンの俺から見ても1巻でエキストラとして作品の空気をぶっ壊すくだりや同級生友達つくり編とかあんまし面白くないところもちょいちょい見受けられはしたが、常に閉塞感を打ち破って天井から新鮮な空気を流れ込ませてくる感覚をこれほど味わえたことは無い。なんせ俺はこの漫画目当てでジャンプ電子購読を開始した。あの事件は非常にいちファンとして無念ではあるけれど、まあそのおかげもあってコミックス未収録エピソードも読める状態にあるのが幸いだ。

 

未完の名作というものが世の中にはある。その代表例は俺にとっては「死ぬことと見つけたり」が先頭を走っていたけれど、今後はアクタージュがこれに並ぶことになるだろう。

 

将来規制は解除されるのだろうか。この漫画を読めないのはもったいない。

特に桃城千世子。このブログで彼女について1記事書こうとしていた矢先だった...。

 

衛府の七忍
山口貴由の集大成だ!と周囲でうわさされており、覚悟のススメシグルイしか読んでいなかった自分でもかなりワクワクしながら読ませていただいていた。

 

ブロッケンの章だけはイマイチだったが、まあとにかく毎回性別・人種を問わない"益荒男"が登場して暴れまわり意を通そうと命をかける様子にはものすごい情念があって、丹田が熱くなるような錯覚をおぼえたものだ。

 

物語の顛末はあまりにも素っ気ないもので、力が抜けそうになってしまった。戦い抜いてこそのまつろわぬ鬼ではなかったのか。この放り出された結末によって鬼たちが幸せになった点は確かではあるけれど、これまでの激突と激情までもがそっけなくいなされたようにも感じてしまった。

 

オムニバスのようにも読めるストーリーだったのが救いだが、完璧な結末どころか行程すら抹消されてしまったアクタージュと、残酷なまでにあたたかくて冷たい放り出され方をした衛府の七忍と、どちらが作品としてしあわせだったのかを自分のなかで整理するにはもう少し時間が必要そうだ。

 

トーマの心臓

石川博品耳刈ネルリ」で一部引用されている要素があったことから、萩尾望都作品は「11人いる!」だけ読んでいた。フロルとの交流要素が目立ちつつもまあまあ面白いかなあくらいで、「続・11人いる!」は途中で投げ出したくなるほどグダグダだったのでしばらくこの作者のはいいやなどと思っていたのだけれど、こちらは予想を超えてはるかにたのしめた。

 

時々、作品を読みながらページ数を見て、今全体の中で進行度はどれくらいなのか確認してしまう悪癖がある。本作では冒頭から爆弾が落とされるので、正直なところこの筋書きでどうやってこのボリュームをさばくつもりなのだ、また「11人いる!」みたいにつまらないおまけがくっついているのだろうかなどと邪念がよぎったけれど、読み終えてみると確かな清々しさがのこるいい体験ができた。「ポーの一族」もそのうち読む。

 

シャニマス The Straylight 感想

f:id:Zumasawa:20210131234921p:plain


かなり良かった。Run()がgood、WEBDがnormalなら今回はexcellentくらいある。

 

ストレイライトというユニットの魅力は既にネット上で有力者によって語りつくされているだろうが、個人的に何を置いても素晴らしいのは物語に闘争が組み込まれる点だ。メンバー同士でも切磋琢磨し、外向けには公の場に相応しい迷光と能力を見せつけようとする。見せつけようとしているが無敵の存在ではないので敗北を味わう。だから満足を知らずにがむしゃらに走り続けている。

 

この闘争の扱いはThe Straylightでもいい塩梅になっていて、オープニング~1話ではアーティスト達とのガチ対決で、嫌味まで言われながら実力不足を思い知らされる。続くものまね企画で実力不足を思い知らせてきたベテランのアーティスト達がバリバリにアレンジを効かせながら模倣してくるが、自分たちが創り出し、更新し続けている領域というアドバンテージに油断することなく改善を施し、シャニPがスカッとしてしまうレベルのリベンジを決める。もちろん、この状態のストレイライトがまた冒頭の場のような番組に出ることになった場合にどうなるかはわからない。再び実力の差を思い知らされる可能性もじゅうぶんある...しかしストレイライトがストレイライトである限り、完璧を目指し、進化し続ける存在である限りこの先は問題ないだろうという信頼を持たせてくれた。シャニPやプレイヤーに限らず、作中内ファンも同じような気持ちなのでは。

 

ところで闘争というものには舞台が必要になる。特にリベンジのためとなれば、舞台の用意まで行わなければならない。わからせてやりたいやつに正当なリベンジをする機会は自然に得られることなどほとんどない。リベンジをする側がその流れへと運びにいくことのほうが多い。さて、冒頭でストレイライトは敗北を痛感したが、現実としてリベンジの機会などそうそう訪れない。しかしストレイライトをずっと支えてきたシャニP、もしかすると当の彼女達以上に悔しがったかもしれない彼は、なんと件のアーティスト達によるものまね企画に対して、サプライズ本人登場を切り返す形で提案していた。しかもアイドル達には自分から提案したことは伝えなかった。次があればうちのモンはぜてえ負けねえというバチバチさをしっかりシャニPは持っていて、だからこそリベンジが実現したという種明かしにはやられた。しかもシャニPはそれをアイドル達には最後まで黙っていて、冬優子には社会人としていうべきではないことまで伝えてしまう。彼なりのアイドル達への本気度、愛着と、純粋さ故の危うさが垣間見えるバランス感覚。嫌いではない。その後も愛依の動画振り返り用に倉庫をひっくり返してきて黙って置いておいたりと、いつも通り水面下のサポートも凄まじい。俺はこの男がいるからシャニマスにハマッたんだと再確認させられた。

 

だが今回は闘争そのものはメインではなく、ストレイライトの在り方と未来への向かい方を示す物語であり、愛依がフォーカスされる。愛依が"アイドル"を、"ストレイライト"をやっていくために作りだした迷光(ミステリアスなキャラ)がファンに本物として受け入れられ、愛依もそれを否定せず大事にしたいと結論を出し、ただ情熱から曖昧な方針を内向きに述べただけで終わるのではなく、【いるっしょ!】コミュでツイスタに"ストレイライトの愛依サマ"として完璧な内容の投稿をぶちあげたところは流石にテンション上がった。

 

噂よりも


ステージを見てほしい


あたしはそこにいるから


そして


あたしたちがいるところにステージはあるんだ

 

#ストレイライト

 

ミステリアスでクールな人の噂に対するアンサーとしては100点飛んで1兆点はある。本人が自覚したようにこっちの愛依も既に確立された存在となっているし、俺も愛依サマのファンになってしまった。

 

 

本イベントはシリアス一辺倒というわけでもなく結構肩の力を抜いて眺めてられるシーンもいくつか用意されていたの含め、本当に上質なものを見せてくれた。今後愛依は外にいる時素を抑えるのか変装するのか、どちらもゆるぎない自分であるとして特に変わらずいくのか...というのは些事に過ぎないので置いておく。次も期待大。

 

2020年後半~2020年1月 印象に残った曲の記録

■(アルバム) 渦になる / きのこ帝国 

2020年9月に聴いてハマッた。

全ての気力を失って真っ暗な部屋でベッドに横になりながらiphoneを操作していたとき、ふと知人がこのアーティストについて言及していたのを思い出してapple musicを通して聴いたのだ。

 

恐らくその初めて聴いた時の個人的なコンディションがばっちり噛み合ったのだろうが、凄まじく心を揺さぶられながらしかし穏やかなままというものすごい体験を味わうことになった。濁った湖の底に静かに寝そべっているような恍惚とした感覚。

 

1曲目『Wheel Pool』で意識を持っていかれ、続く『退屈しのぎ』の激しく暗鬱な8分間の味わいたるや。

www.youtube.com

 

普段だったらこの尺の曲はフルで聴くこともなくさっさとスキップしていただろうから本当に運が良かった。

 

最初から最後まで隙が無い構成だが、個人的にぶち抜けてるのは

『Girl meets Number Girl』。

www.youtube.com

 

個人的には浅倉透前日譚テーマソングまである(唐突なシャニマスネタ)。

 

あなたがいれば/みんながいれば大丈夫みたいな歌が苦手だ。自らの未熟さが自分自身に最も大きなダメージを与えることが多いのもあるし、自分の苦しみは可能な限り自分の内側で処理するのが望ましいという感情がある。

 

このアルバム『渦になる』では、他者から救いや許しを与えられることもなく煮えたぎる鉛のような情念を抱え込んだまま生きる存在が、その存在が過ぎ去った過去に見出す憧憬や後悔が蓄積され渦になっている様が描かれている。『夜が明けたら』では明確な解決策もないまま、泣きながら未来を迎えている始末だ。他の何にも拠って立たず、ただ己の足だけで立っている、なぜなら自分の責任によって何にも拠りかかれずそうするしかなくなったから、といういい感じな突き放し方。好みの方向性。

 

『渦になる』と巡り合い、俺史上至高アーティストに並ぶ存在来たか!?と大急ぎで2枚目以降のアルバムも聴いていったが、作風はアルバムごとに緩やかに変化しており、好みの曲は1アルバムに1~2曲くらいの配分になった。今はメンバーのひとりが家業を継いで活動休止になり、Voはインスタに映え写真をアップしたりなどしているらしい。初期だからこその爆発力だったのかもしれない。それでもオールタイムベストクラスで気に入った。

 

www.youtube.com

2ndアルバム『Eureka』ではこの曲がイケてた。

歌詞「深海のね(中略)~生きていけないの」部分だけはいささか自己陶酔が過ぎるように感じて毎度引っかかってしまうのだが、それでもかなり好き。

 

■(アルバム) HOMELAND 11 blues / Tacica

www.youtube.com

 

アルバムを通してリスナーの理想追及、葛藤の克服を後押ししたい想いが伝わってくる(ような気がしている)。その点ではダニエル・ジョンストンをモチーフにしたという収録曲『DAN』が特に激しく、お前の衝動を掻き立ててやるぜ~という力強い波動を感じる。

 

歌詞はやや難解な部類で、くだけた感じがないGRAPEVINEという第一印象(あんまりこういうたとえはよくないよなあ)。まだ他のアルバムを十分聞けていないので聞き込んでいきたいアーティスト。

 

個人的に抜けて良かったのは『Co.star』と『from the gekko』。

 

■(アルバム)Vesseles / Starset

このアーティストを知ったきっかけは3日前に始めたスマホゲー、アークナイツ。

ティザーPVで使用されていたのがこの曲。

www.youtube.com

 

これが収録されているアルバムが『Vesseles』だった。

 

前半はFor You系ソングが多く割とダレたが、『Unbecoming』で水面へと墜落して怪物へと成り果てていった語り手の物語が紡がれ、次曲『Monster』に至る流れが爆発している。

www.youtube.com

 

深く刺さったのは今んとこの2曲だけだが、突き抜けたburstと『Monster』以降もまあまあいい感じな曲(失礼!)が続くことから印象に残ったアルバムとしてカウント。

 

■月曜日 / amazarashi

www.youtube.com

『月曜日の友達』という俺が好きな漫画用に書き下ろされた曲。

 

...らしいのだが、圧倒的なアンテナ不足により漫画の方は読んでおきながらこの曲の存在を知るのが2年半遅れた(アホ)。どうやら漫画作者の阿部共実とamazarashiは互いが互いのファンだったらしく、PVラストには原作にはない書下ろしのエピソードまで用意されている。スゲエ。

 

こう表現すると絶望的に俗っぽくなってしまうのだが、青春の曲だ(もちろん、俗っぽいことがイコール悪いとはならない)。

 

未来に対し無限の可能性拡張を宣言する系は苦手だが、かけがえのないものの永続性を信じ切れない哀切な願いが叩きつけられる系には心が躍る。性癖。

 

■余談

このブログは作品の感想を記録するために設置したものだが、音楽関連、要するに好きなアーティストの曲に関する記録はこれまで避けてきた。

 

もともと、曲の感想を記すことに強い苦手意識がある。音楽雑誌等を読んでいた過去、教養がない自分には解説内容が衒学的にさえ映るときがある記事が視界に入る度に苦手にしていたことや、アウトプットするにもせいぜい歌詞について言及するのが精一杯で、一定以上の識者たちだけが的確に言及でき得るボーカルやサウンドに関しては「なんか~からの転調がすごい。エモい」程度のことしか書けないことがその根底にあるような気がしている。もちろん前者はただの食わず嫌いとか偏見といった類にあたるのだが。

 

しかし俺は自分の視点から、外部への公開/非公開を問わず記録を行うこと自体は非常に有意義だと考えている。なのに音楽だけはアウトプットから逃げたいので書きませんでは、何かを得られる可能性自体を放棄することになってしまうなと思いなおした次第。己を裏切ったものは魂が放浪してしまう。

 

また記録したいものが出たら書くことにする。