ゼルダの印象とか鑑賞モンスターとか「可哀そうにね、元気くん」「ゲーミングお嬢様」の感想とか(2021年4月中旬)

■Switch買って「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」を始めた

順当に面白い。

 

何がいいかというとロケーション探索が楽しいことに尽きる。

 

探索していると面白そうな場所を遠くに目撃して、面白そうな場所にたどり着くと実際に面白いものが待っている。この積み重ねが冒険のワクワク感を担保してくれている。

いわゆるクエストマーカーの類が最小限で、画面内に設定したクエストの少目標ノルマみたいなのが表示されないのは嬉しい(少なくともデフォルト表示では)。ああいうのが表示されるとガワはオープンワールドでも進行が実質的にミニマムなリニアなものに誘導させられてしまうことが多いので。

 

オープンワールドゲーをやっているとマーカーからマーカーへの旅、サブクエのノルマを埋めるための旅になってしらけることも珍しくないけれど、良質なナラティブを提供してくれる良ゲー。

 

とはいえすべてが手放しで満点というわけではなくて、現時点(神獣3体解放、ウツシエ半数発見)ではメインストーリーやサブクエストに魅力があるとは言い難い。どの神獣ダンジョンに向かっても英傑が同じようなことをいってボス戦が開始する流れがテンプレ化してしまっているのは残念。これは攻略順の自由さ故の措置だと思うのだけれど、英傑のキャラ立ちを阻害している。あとはシーカーストーン関連で一部スキップできない上にめちゃくちゃ長い演出が入る点が気になる。

 

■他者おやつ扱い鑑賞モンスター

 

これweb掲載のゆるい漫画でめちゃくちゃ目にしません?比較的知名度の高そうな具体例を挙げると宇崎ちゃんのマスター達や友達とか道産子ギャルの眼鏡あたりになるんですけど、わりかしキビイ。

 

「○○と○○の絡み尊い~~」とか「ここは泳がせておいたほうがオイシイ!」みたいなことを言い出すキャラ。陽キャがワイワイやってるところにニチャニチャした言動が飛び込んでくるような気まずさがある。

 

 

キャラクターAとキャラクターBの橋渡しをする役のキャラとかにこういう欲望が詰まってることを強調されると厳しい。自分の友達がアシストをしてくれる体でニチャニチャしながら「ここはこう動かしたほうが自分も楽しめる!」みたいなことを考えていたらすっげえ嫌だ、俺は。

 

みたいなことを考えていた。

 

ひとむかし前に厨二病美少女とかギャグ要員腐女子とかが氾濫していたし、戯画化されたオタク/オタク的存在は一定数需要があるのだろうか。

 

個人の好き嫌いに帰結する話題なのでここで終わる。

 

 

 ■「可愛そうにね、元気くん」を読んだ

 

[第1話] 可愛そうにね、元気くん - 古宮海 | となりのヤングジャンプ

 

 かなり楽しめた。

 

エゴのため、自己の欲望のために他者を消費する、その有様が連鎖していく。ぬぐえない醜さを突きつけられる緊張感。綺麗な逃げ場など無く、序盤で越えた山の先にあったのは断崖絶壁のような”つづき”で、元気くんの元気はみるみる失われていく。なんなら最初っから元気ねーんだけど。

 

濁を飲み込み、既に迷いがない鷺沢はまさしく狂言回しで、内面がゆらされまくる登場人物たちに対して彼女の内面は確立されており、また自分の欲求のために他者を焚き付けたりまきこんだりことに躊躇が無い。元気くんに向けているのは愛ではなく欲望に過ぎないとまで断言している。しかし鼻につくこともなく、むしろ清々しさを覚えるほどに純粋で率直な人物だと感じた。

 

元気くんも八千緑も弟くんも鷺沢も先天的ではなく後天的に、家庭環境によって”ズレ”ている作品なのだが、鷺沢の過去は最後まで詳細には語られなかった。彼女の場合はそれでいい気がする。なにかあとから説明しようとするとちゃちな接続エピソードになってしまいそうだ。巻末おまけマンガでさえ鷺沢だけは未来の記述が排除されているので、もともと彼女を物語的に消費させたくない意図があったのかもしれない。

 

最終巻の駆け足展開(特に弟のムーブと鷺沢フェードアウト)はやや残念だった。

 

元気と八千緑の物語としては綺麗に完結..しているのか?

いや、確実に作品のコア足り得る結論に着地してはいる。いる...のだが

八千緑が急激に悟りを開いていい感じになりました風で、

保たれていた物語の緊張感が弾け飛んでしまったような感覚に襲われている。

教師に惚れてた子のドラマにだって本当はあの先があったのではないか?

 

まだまだ読みたい過程が、埋められる余地のある余白が残っていたように感じてしまってまだうまく飲み込めていない。終盤の展開に関しては中立的な観方をするふりして良い方向に解釈しようとしている自分に気付かされる始末だ。それくらい良い作品だった証左であり、俺もまた「おかしい」部分を持つ醜い個人であることを認識しつつ、作品に対する結論は今後読み返す中で私的に出しておきたい。

 

作者の次回作も期待する。

 

■「ゲーミングお嬢様」について

[GAME1]ゲーミングお嬢様 - 大@nani/吉緒もこもこ丸まさお | 少年ジャンプ+

 

知人から感想記事を求められた。このブログが始まって以来初めてのことで驚いたが、正直にいうと飛紀子様に勝ったところで自分が求めていない作品だと確信して読むのをやめていたので、リクエストを受けたあと現時点で読める範囲の話までを読み進めた。

 

 

 

ジャンプルーキー版が掲載された当時は、格ゲーをやっている人間が描くからこそ出せる鋭敏さに対してかなり期待していたようだ。

 

理想化された光の対戦ゲーマーにはもともと興味が無い。「ウメハラファイティングゲーマー」でもヌキ編が一番良いと断言できる。ゲーミングお嬢様にはリアルなしょーもなさとしょーもなさのなかに垣間見える熱量の光源さがあって、このバランス感覚の維持を勝手に切望していた。必要のない昇龍でわからせるシーンの表情は非常に素晴らしいものだった。

 

しかし商業版では牙が抜け落ち、凡庸寄りの王道ストーリーに飲み込まれてしまったような印象を抱く。そういうディレクションがあったかどうかは伺いしれないが、ハギオグラフィーを読むつもりはない。

 

実在するトッププレイヤーをモチーフにした美少女が出てくる点も個人的には受け付けなかった。あまりにも元ネタの味が濃すぎる。

 

現存するプレイヤーをモチーフにされていると、オリキャラがモチーフ持ちキャラに勝ったとき等にリアルを意識させられて作品への没入が損なわれるのは大きな問題だ。真剣に勝ち負けと向き合う作品にするなら、ライバル枠もオリジナルが望ましい

 

とはいえ31話で扱われた『燃え尽き』はこの作品に向いていない俺でさえ興味深いトピックだ。殺したい相手が存在しなくなったゲームでモチベを保てるか?という話題は作品の傾向として自己啓発的な内容に向かってしまう可能性もあるが、ここの結論だけは見に覚えのあるゲーマーとしてチェックしておきたい。→(2021/8/31思い出し追記)

この記事を書いた後、大会編の真っ最中に突然編集の指示でウマ娘回が開始し、その次は壺おじ回だった。最後に残った好奇心はさっぱりなくなったし、下記余談その2のオチに書いたようにやっぱりバチバチする作品ではなかったというオチ。そのゆるい感じをスト5で継続してほしかったというのが素直な欲望。

 

余談だが、格ゲーマーは「全員殺せるようになりたい」から始まり、やがて「○○を殺したい」になり、肝心の○○を殺した後に世界が分岐していく印象がある。リベンジの螺旋へと突入する者もいれば、殺し合いに意義を見いだせなくなる者もいる。没入時の興奮が忘れられず消えた後も時々顔を出しにいって、なにもかんじられないまましょんぼりと戻る者もいるだろう。俺は格ゲー事情に詳しくないので、新たな○○が勢力として登場した鉄拳7はかなり衝撃だった。

 

余談その2。バチバチの戦いを繰り広げ、しかも負かした強敵が日常空間にひょっこり現れていい感じのアドバイスをくれる点も勝負を描く作品としては違和感がある。いや本気でやりあって負けたなら、そこでまだ闘志を保っているのなら、”もっとも殺したい”側にいるはずじゃん!?なのに自分が「今のお前を倒してもつまらない」的なことやりだすのって自分を負かした相手を下に見すぎというか真剣勝負の味まで否定してない?(『ピンポン』のスマイルがペコ飛ばしたあと何も声をかけなくて、ペコは飛ばしたけどスマイルに飛ばされたアクマがペコを励ましに来るシーンを比較対象にするのは流石にやりすぎか?)しかも「2先で事故っただけ」ってオイ。野試合で勝てるやつに勝てるのはアタリマエだけど大会じゃ安定しない。それはわかるけどだからこそ大会の、ホンバンの結果って神聖視されるわけじゃん!?

そういう系のバチバチ作品ではない。

シャニマス 七草にちか W.I.N.G編 感想

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2021年4月5日、シャニマス界は にちかの炎に包まれた

 

 

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今更無難に軟着陸する新キャラは出さないだろうと予想していたけれど、危ういプロローグにシャニPモノローグが合わさって──

 

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心の奥底で渇望している内容を扱う作品と邂逅できたことを確信すると口角が上がる。体内で打たれる脈はいつもより近く、冷たくなる首や胴体、自然と正される姿勢、作品と関係ない現実世界の全ての情報は遠い彼方の環境音と化し、戦闘体勢でコミュを読み進めた。

 

 

よくもまあやってくれやがったなシャニマスくん!?

特徴である表情アニメーションもかなり活用されていて、何気ない場面でにちかが一瞬悲しそうな表情を見せてきやがるし、再序盤からシャニPはそれを見抜いてるしでもうすっごい。理想主義的だけど現実はしっかり見ているシャニPのスタンスも合わさってかなりドシンと来た。

 

 

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俺は「なにもない人」の物語をずっと求めていた。本当になにもないわけじゃないけど、本当にだいじなものがなにもない人の物語が読みたかった。七草にちかには申し訳ないがその機会をくれたシャニマスくんに感謝するほかない。

 

恐れたのは予定調和の浄化・昇華。

 

あの樋口でさえWING終盤では均衡を崩し、シャニPへの信頼を垣間見せざるを得なかった(感謝祭やギンコ・ビローバでアイマス文法に背を向ける姿にはむしろ安堵した)、七草にちかもこの最初に与えられた共通コミュで小目標を達成してイベコミュでユニット話やってpSSRでアイドルとしての成長を描いていく、そういうスッキリした枠に収まっていくのかと思ったが

 

 

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結局達成できたのは、これからは自由にアイドルを続けられること、それだけ。

 

敬愛・崇拝の対象であった八雲なみの本心を知ってしまった。悲しさと苦しみに耐えながら巻き取ってきたくすんだ理想のコピー像も有効期間が終わってしまった。小糸のように明確なアイドル像を抱けたわけでもない。樋口のようにファンの期待を背負っての責任感もない。終わったら次はないという強迫観念に駆られがむしゃらに走り抜けていた。

 

アイドルに強いあこがれを抱いているにも関わらず、アイドルとして自分が嬉しさを感じられるものは何も見いだせていないまま。絶望的なワナビのままだ。

 

よくもまあ共通コミュでこんな話を展開してきたものだと唸った。

 

この手のコンテンツでの傾向として、展開が長期化する中で徐々に動かせる物語性が少なくなっていく現象が多々あると個人的には感じているのだけれど、ノクチル・シーズは最初から長期展開を見据えたプランのもと動かされているように思う。自信と人気が無ければできない。すさまじい。

 

にちか個人だけでもまだ語られていない情報が溢れているので今後の展開を楽しみに待っていくほかないが、この残酷な物語を見せてくれたシャニマスくんに感謝。

 

七草にちかがこのまま終わらないことは確信している。

 

シャニPが彼女の中に秘められている輝きのもとに気付きながらもそれを黙って見送っていたのは、はづきの出した条件がむちゃくちゃすぎたが故に、にちかとじっくり向き合う時間が無かったから。だから七草は八雲の靴に合わせるしかなかったし、現実を認識している大人のシャニPはただ見守るほかなかった。でもWINGを終えてからはその心配はなくなる。はず。

 

美琴とシャニPに支えられながらくすんだコピーではないオリジナルを形成していく未来。そういう風になっていくのはほぼ間違いないだろうが、それがどう為されていくのか、そこに関心と期待がある。

 

365日継続してもまだまだ楽しめるぞアイドルマスターシャイニーカラーズ 。

 

 

 

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ここ素直に可愛かったから好き(この直後に悲しそうな表情があったりシャニPのモノローグが突き刺して来たりするのは置いておいて

 

 

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朝コミュの距離感好きだけどWING編との温度差すごい。

手のかかる親戚の子ども感がヨシ

ウマ娘2期 感想(9話まで時点) シーシュポスと化したエリート

予想外に楽しめているのでブログに書いておくことにした。

 

自分が馬のことを全く知らない(「ディープインパクト」という名前は聞いたことあるくらい)のもあり、アニメ1期は一切何も感じることがなかったのでもうアプリ版だけ追えばいいかな?と考えていたが自分に逆張りしてよかった。

 

何がイケてるかって、自他共に認める強者たるトウカイテイオーが無慈悲な喪失に晒され、しかもなお立ち上がっていこうとする姿。その一点がずば抜けて素晴らしい。

 

まず2話。トウカイテイオーが骨折によって生涯目標を二度と達成できなくなり、散々苦しみながらあらがったがやっぱりダメで、それでもなお自分にまだ達成可能なものとして残った目標を狙っていく!と〆たやつでやられた。最初表面上は深刻な描写にしない、自分の空想と共に競うはずだった対戦相手達の闘争心が、現実と空想の垣根で激突するなどとにかく持って生き方が完璧すぎたので「もうこれ最終回でよくね?」と思わされた。

 

しかしその鮮やかな妥協、「無敗」は5話の惨敗によって達成不可能になる。いやー凄い。この綺麗な〆を否定して続いて物語を続けていくスタイルが良い。しかもただ強い宿敵に負けるのではなくノーマークレベルだったやつらにも劣る突き落とし方がめちゃくちゃいい。

 

ここで「なんにもなくなっちゃった」トウカイテイオーにどう収拾をつけるのかによって作品への好感度や信頼度が大分異なってくるのだけれど、解決エピソードの6話では他者の存在によってモヤモヤが解消され、また前を向ける的な方向性に落ち着いた。

 

2話の素晴らしい結論や流れ(自分はトウカイテイオーに負けてないと叫びながら走るウマ娘たちとか)に比べてかなり残念な妥協をしたなあというのが率直な感想だった。

 

でも6話は最終回では無かったので、ある期待が芽生えた。大切な約束をしたふたりの間に不均衡が生じているならば、将来的なドラマの可能性が残る(自己申告しておくと、俺はキャラクターの苦しみや哀しみや尊い関係性的なものを自分勝手に消費するクズです)。

 

大好きな小説「ハツカネズミと人間」を例に挙げる。この作品では主人公のジョージとレニーがかけがえのないパートナーシップを結び、支え合いながら苦しい生活を耐え忍んでいるのだけれど、レニーのほうは知恵遅れで、それゆえの純粋さにジョージが救われる面はあるものの──やはりこの2人は完全に対等ではない。それでも確かに互いを思い合っていたのだが、結局この不均衡さが最悪の悲劇へと至ってしまう。

 

そんな小説が大好きな俺としては、「俺が見たいのは”この先”なんだ・・・ウマ娘2期、お前なら見せてくれるんだよな?”先”を・・・?」と胸が高鳴り粛々とエピソードを見続けた。

 

9話。

 

”先”を拝むことができてしまった。悪しき視聴者は自分好みの展開を作品に求めてしまうものだが、まさかその点で期待を越えてくれるとは。

 

いままトウカイテイオーを支えてきたものが、かけがえのない他者が、向き合い方が、全てそのままトウカイテイオーにのしかかり、頼みの綱である他者との絆すらも絶望への導火線と化してしまう。

 

本当に全てを失って、それでも人生を続けなくてはならない。

 

100点満点中100点満点くらいの疾走感がある。

 

あと3話くらい枠があるのでなんやかんやの救済自体は確定しているのだけれど、ここまで丁寧にエリートの喪失を描き、安易な復活を否定しただけにどうやって前向きに着地させるのかわくわくしている。