「ジョーカー」感想

味わい深く楽しめた。

 

■ジョーカー像

いわゆる原作ありキャラクローズアップものとしてジョーカーを扱うのはかなりハードルが高いだろうと思っていた。発表以降ジョーカーのキャラクター像に大きな影響を与えたアラン・ムーア御大の「キリング・ジョーク」版、過去を持たず、ただそこにある悪として顕現する「ダークナイト」版等、先駆者があまりにも強すぎるので。

 

しかし今作の「ジョーカー」はハードルを乗り越え、素晴らしいオリジナリティを獲得していた。また、アーサーとしてのジョーカーの存在そのものを否定し得る材料をラストシーンで投入し、それが作品テーマとも絡んでくるという、まさにジョーカーめいたやり口が非常にスマートなので感心してしまった。アーサーとしてのジョーカーも歴代と同じくらい好きになった。

 

■ラストの解釈について

1人の男が怪物へと変貌していく物語と受け取ることもできるが、最後に示唆されているようにアーサーの物語全てがジョーカーの妄想だったと解釈することも可能になっている。後者について言うと、個人的には物語の過程を否定するようなオチは大嫌いなのだが、今回は虚構が作品のメッセージに関係していると感じられるし、ストーリーの真贋について厳密なジャッジをすること自体に意義があるとは思えない。気にしないことにした。

 

■アーサーの物語

社会に適合できない姿に自分を重ねてしまう人、無量大数いそう。言うまでもなく自分もそのひとり。

 

コモンセンスが欠けている点を地道な努力で補おうとするアーサーが拒絶され、失敗続きになってしまう姿は涙ぐましい。アーサーが欠落を埋める手段は、都合のいい妄想に逃避することだけだった。それだけに中盤以降、とりわけ例の真相が発覚して以降の、妄想の世界へ逃げることもできなくなってしまったアーサーの変貌がとても心地よかった。他者に迎合しようとして失敗を繰り返してきた彼は、価値があると思っていた者全てを否定して価値観の優先順位を逆転させることで、とうとう自分を基準にして生きるようになる。アーサーのこうした変化が進むごとにダンスが洗練されていくのは非常に美しい魅せ方だと感じた。

 

最も印象深かったのは、自殺を考えていたのに土壇場で自分のネタ帳にあるお気に入りのフレーズ("I hope my death makes more sense[cents] than my life")を見て行動を変えるシーン。発狂したコメディアンとして大嫌いな世間の笑いものにされながら死ぬことに最早意義はないとして、それよりも"ウケる"ほうを選んだ。ジョーカーが自分の人生にある程度の価値を見出し始めていたことが発覚したシーンとして理解することもできるが、こんな破壊的でネガティヴな肯定があったら笑っちまうな(俺はジョーカーが人生の意義そのものを棄却する思想に至った為、そもそも死ぬ必要性を見いだせなくなったという解釈)。

 

■少し違和感があったシーン

アーサーの発作的な殺人事件が報道されてピエロの偶像化につながり、抗議運動に発展していく展開はやや強引に感じたが、市民がたやすく殺人事件の意義を妄信していく一方で、張本人のアーサーは全てに対する不信が進行していくという対照的な見え方が心地よかったし、人生は喜劇なので気にしないことにした。