ウマ娘2期 感想(9話まで時点) シーシュポスと化したエリート

予想外に楽しめているのでブログに書いておくことにした。

 

自分が馬のことを全く知らない(「ディープインパクト」という名前は聞いたことあるくらい)のもあり、アニメ1期は一切何も感じることがなかったのでもうアプリ版だけ追えばいいかな?と考えていたが自分に逆張りしてよかった。

 

何がイケてるかって、自他共に認める強者たるトウカイテイオーが無慈悲な喪失に晒され、しかもなお立ち上がっていこうとする姿。その一点がずば抜けて素晴らしい。

 

まず2話。トウカイテイオーが骨折によって生涯目標を二度と達成できなくなり、散々苦しみながらあらがったがやっぱりダメで、それでもなお自分にまだ達成可能なものとして残った目標を狙っていく!と〆たやつでやられた。最初表面上は深刻な描写にしない、自分の空想と共に競うはずだった対戦相手達の闘争心が、現実と空想の垣根で激突するなどとにかく持って生き方が完璧すぎたので「もうこれ最終回でよくね?」と思わされた。

 

しかしその鮮やかな妥協、「無敗」は5話の惨敗によって達成不可能になる。いやー凄い。この綺麗な〆を否定して続いて物語を続けていくスタイルが良い。しかもただ強い宿敵に負けるのではなくノーマークレベルだったやつらにも劣る突き落とし方がめちゃくちゃいい。

 

ここで「なんにもなくなっちゃった」トウカイテイオーにどう収拾をつけるのかによって作品への好感度や信頼度が大分異なってくるのだけれど、解決エピソードの6話では他者の存在によってモヤモヤが解消され、また前を向ける的な方向性に落ち着いた。

 

2話の素晴らしい結論や流れ(自分はトウカイテイオーに負けてないと叫びながら走るウマ娘たちとか)に比べてかなり残念な妥協をしたなあというのが率直な感想だった。

 

でも6話は最終回では無かったので、ある期待が芽生えた。大切な約束をしたふたりの間に不均衡が生じているならば、将来的なドラマの可能性が残る(自己申告しておくと、俺はキャラクターの苦しみや哀しみや尊い関係性的なものを自分勝手に消費するクズです)。

 

大好きな小説「ハツカネズミと人間」を例に挙げる。この作品では主人公のジョージとレニーがかけがえのないパートナーシップを結び、支え合いながら苦しい生活を耐え忍んでいるのだけれど、レニーのほうは知恵遅れで、それゆえの純粋さにジョージが救われる面はあるものの──やはりこの2人は完全に対等ではない。それでも確かに互いを思い合っていたのだが、結局この不均衡さが最悪の悲劇へと至ってしまう。

 

そんな小説が大好きな俺としては、「俺が見たいのは”この先”なんだ・・・ウマ娘2期、お前なら見せてくれるんだよな?”先”を・・・?」と胸が高鳴り粛々とエピソードを見続けた。

 

9話。

 

”先”を拝むことができてしまった。悪しき視聴者は自分好みの展開を作品に求めてしまうものだが、まさかその点で期待を越えてくれるとは。

 

いままトウカイテイオーを支えてきたものが、かけがえのない他者が、向き合い方が、全てそのままトウカイテイオーにのしかかり、頼みの綱である他者との絆すらも絶望への導火線と化してしまう。

 

本当に全てを失って、それでも人生を続けなくてはならない。

 

100点満点中100点満点くらいの疾走感がある。

 

あと3話くらい枠があるのでなんやかんやの救済自体は確定しているのだけれど、ここまで丁寧にエリートの喪失を描き、安易な復活を否定しただけにどうやって前向きに着地させるのかわくわくしている。