シャニマス 樋口円香を自分の中で整理する

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先日の【ピトス・エルピス】実装を受け、いいタイミングだと思ったので、樋口円香について現時点(2021年9月)で覚書をのこし、ある程度整理することにした。とはいえ、そのほとんどは結局樋口円香とシャニPという括りになる(幼馴染達の中での空気感は<シャニマス的には良い意味で>変化せずいつもの4人が維持されているので、取り立てて書くことが無い)。

 

シャニマスは様々な解釈が生み出されるような方向性で製作されており、絶対的な"正解"は無い。当然ながら解釈についてはあくまで俺個人の解釈メモとなる。俺も書くだけ書いたら"樋口円香がいる人"たちが書いたあれこれの見聞に回る予定

 

※全てを整理すると膨大な時間がかかってしまうし、いちいち全部を抜き出して書き連ねていくのもなんだか野暮なので、個人的に整理したい点だけを書く

 

W.I.N.G(および天塵・海出、【カラカラカラ】)~【ギンコ・ビローバ】~感謝祭

W.IN.Gに関しては今更書くようなことはほとんど無いが、W.I.N.G『バウンダリー』上選択肢では、一方的な言葉責めにもあざとくすらある返事をするシャニPを面白がっている様子が描かれている点が興味深い。

 

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(SSだと伝わらないけど、普通にくすりと笑っている)

 

W.I.N.G終盤では樋口はシャニPに全幅の信頼を寄せているように見え、あまりにも和解が早すぎる、勿体ないと嘆いていたところに出現したのが【ギンコ・ビローバ】だった。

 

【ギンコ・ビローバ】での樋口は、理不尽な罵倒はしなくなったが明確にシャニPを拒絶している。シャニP側がコミュニケーションをとろうとすると「大切なものほど教えたくない」「私の代弁者になろうとしないで」等強めに突き放し、強力なライバルが出てくるなら受けて立とうと言われれば「受けて立つのはあなたじゃないでしょ」と冷たく返す。TRUEコミュ『銀』ではシャニPが商店街の人々に大人気な様子を正面から皮肉る。

 

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W.I.N.Gでは『蛇足』の一言が出てしまうところまでいったものの、樋口がロマンを押し殺すリアリストならシャニPは現実を見据えたロマンチスト寄りの人物。樋口はシャニPに対して「理解できない」と言い続けている(【カラカラカラ】でも苦いコーヒーにたとえて言及されている)。

 

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この時の樋口から見てシャニPは信頼できそうな人物であると同時に不可解さが突き抜けた、理解不能な存在でもある(ついでに踏み込んでほしくない領域に堂々と踏み込んでくる)。好ましい部分と嫌いな部分が混在していて、本カードのコミュでは全体的に本当に信用していいのか計りかねている様子が強く描写されており、素で癇に障っている場面も少なくないように見受けられる。最新の時系列でも樋口のシャニPに対する感情は好悪含め複雑に渦巻いているのではないかという印象。

 

TRUEコミュ『銀』の話に戻る。冷や水を浴びせるような皮肉に対し、「買いかぶり過ぎ」「”プロデューサー”として精一杯背伸びをしているだけ」と嫌味なく受け流すのが逆に嫌味な領域の回答を受けてしまい、”ぐちゃぐちゃになってしまえばいいのに”で〆。解釈の余地はかなりあるが、樋口目線では本心が見えない程美しい"スーツ"をまとったシャニPは最早うさんくさく、腹ただしく、信用したい気持ちと、信用していいのかどうかすらもわからなくなってしまった不安や苛立ちが綯い交ぜになっていると捉えている。コミュ『銀』左選択肢での展開が代表的だが、樋口の内面は単純化して見るのがかなり困難だ。

 

感謝祭では【ギンコ・ビローバ】に引き続きシャニPへの不信感が伝わるコミュで、食事等の貸し借りを徹底的に拒否して終わる。このへんの流れはタイミングを調整した限定コミュで無ければ出せない尖りで、満足度はかなり高かった。

 

少し時系列が戻るが、W.I.N.G中と思われる【カラカラカラ】ではシャニPが樋口を怒らせてしまった後テレビの音声にキレて罵声を飛ばしたり、夢に見るほどに拒絶を繰り返され憔悴し、コップを割って自嘲するところまで描写されている。実はシャニPはガンギレ時代の樋口にスーツの下を引きずり出されていたが、樋口の目の前ではそういった点を押し殺して安心して頼ってもらえるよう、強い面だけを見せるように立ち回ってきていた。シャニPにとっては予想外だろうが、逆に樋口の疑いを強める結果となってしまった。

 

 

 

クリスマス、明るい部屋、バレンタインデー、ホワイトデー

個人的に重要そうなのは後半のVD・WD。

回りくどい方法でチョコを渡す樋口に対し、シャニPは直接のお返しは嫌がるだろうと迂遠な方法でWDに臨むが、あっさりと見切られる(樋口は聡い)。

この際の「優しい、嘘つき そういうところが嫌い」という短いコメントに樋口のシャニPに対する評価が詰まっている。

 

G.R.A.D~【ダウト】

そんなこんなで、G.R.A.Dコミュ『息遣いを聞く』でとうとう樋口がシャニPの素顔を垣間見る。真っ暗な事務所で隠れてシャニPの様子をガン見してる樋口を想像するとちょっと怖いが、素のシャニPの間抜けさと誠実さの目撃が警戒を解く大きなきっかけになったらしい。態度は和らげられ、予選前コミュではシャニPをからかって笑うし、車での送迎を許し、遠回しにアドバイスを求める──さらにそのアドバイスが個人として贈られたものだと確認すると、とうとう貸し借りまでも受け入れるようになっていく。

 

シャニPの”優しい”言葉に対する樋口の折り合いの付け方と認識は以下のやりとりから推し量れる。

 

「薄っぺらい言葉

よく自身たっぷりに言えますね

まったく信じられませんが、

・・・・・・騙されておいてあげます

それが、あなたの優しさなら」

(予選敗退後コミュ)

 

(シャニP)

「大したことは言えない

円香の言葉が薄っぺらいというなら、

俺だってそうだ──きっとそうだ

それでも、自分を信じて言葉にする

少しでも届いてほしくて

 

(樋口)

「・・・・・・でしょうね

あなたはそういう人」

(『椅子の背もたれに』)

 

 

【ダウト】では、G.R.A.Dの流れで樋口がシャニPを信用するようになった結果が描かれている(とはいえ信頼を担保にして隙を暴き出し、イジりまくるというかなりハチャメチャなやり口にはさすがのシャニPも珍しく説教モードに入る程だったが)。配布pSRコミュということで、W.I.N.G優勝までを読んだだけでも読める内容になっている。

 

【ピトス・エルピス】

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樋口がシャニPを探るフェーズから、シャニPが樋口への理解を深めるフェーズへ。

 

シャニマスでキャラクターの変遷を追っていく上では、実装された順番にコミュを体験していくことが肝要となる。WING~LPの共通コミュ、pコミュ、sコミュ、一部課金でのアンロックになるような季節イベントもそこに含まれる。特に限定pSSRのコミュは、実装されたタイミングが一番いい味になるようにプランニングされている。途中から新規参入したプレイヤーが追いづらいという批判は心理だが、逆に新規プレイヤーがいきなりこの前提条件があるコミュにたどり着いてしまった場合に引き起こされるであろう混乱は防げる。例えば【われにかへれ】凛世のようなpカードを新規プレイヤーがいきなり引いてしまった場合、GRADコミュを経ての文脈であることすらわからず、また【われにかへれ】後の季節イベント~【ロー・ポジション】へと至る流れすら把握できないまま、突然バッドエンドを突きつけられてしまうことになる。本カードが限定pSSRなのは【ギンコ・ビローバ】と同じく大きな意義があると考えていいはず(商売的なハナシは置いとこうや)。W.I.N.Gから描かれてきた樋口が心の奥深くに持っているものがこれから出てきますよというメッセージとも受け取れる(LP楽しみだなあ...)。

 

暗喩が散りばめられている気配のする『kara su』もいいが、『uru uru』と『gem』の流れには痺れた。

 

大事なのは技術であり、表現者の内面は観客へ与える感動に影響をしない考えに賛同すると述べる樋口が、彼女にしか見えていない"本当に美しいもの"/”正解”を目指していることがわかる。”まるで世界にたった一つの正解があるかのように”「違うものは違う」と述べる。

 

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W.I.N.G時点で判明していたように、樋口は社会の競争をかなりシビアな目で見ているし、その中で闘争にさらされ続けることに恐怖を覚えている...だけではなく、敗北したあとに、妥協"できてしまう"ことにさえ忌避感を抱いているようにも見える(G.R.A.D敗者復活戦前コミュ)。

 

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世界をシビアに見ているため捨てる必要があるものはたとえ大切なものでも捨てることが『hako』でも言及されているが、そんな樋口が歌を通しての表現にはかなり全力であることが示唆されている。感謝祭での「誰かの為に歌っていない」という独白は、当時はアイドル意識の低さとしての文脈でしか見れなかったが、純粋に見えている正解を目指すため、または正解へたどり着きたい自分の為に歌っているということだったのかもしれないが、俺は樋口では無いので何もわからない。

 

さて、プレイヤーは神の視点を持つため樋口が内心熱いものをかかえていることを知っている。W.I.N.G『風穴』では「でも、飛ぼうとした」と決勝敗北直後にも関わらず満足げな笑みをこぼしていたし、天塵では「透にできることで、私にできないことはない」と考えて出演を決意していた。でも樋口を頼れる大人としてサポートしようとするシャニPはひとりの登場人物なので、もちろんそんな内心を知る由もない。

 

そんな彼が本項で最初に貼った画像の考えへとたどり着いたのを目にした時は、衝撃が遅れてやって来た。何がいいって、ここのシャニPが樋口をフルネーム呼びしていることだ。プロデューサー的思考と個人的感情が完全に溶け合っているような状態じゃないとこういう呼び方にはならないだろう(俺の観測できた範囲では他にシャニPが内心でフルネーム呼びしたキャラを知らないので、他でも呼んでたらちょっと感じ方が変わってくるポイント)。正解への到達しか眼中にない樋口と、正解を目指す過程──技術とはかけ離れた野性的な音──を称賛するシャニPの対比が良い。

 

すばらしいものを生み出すのは純粋な技術と言及されていたが、純粋な技術の習得を促すのは結局表現者の内面に寄るところが大きいのだと俺は受け取った。喉を痛めてなお練習する程の激情が無ければ"正解"には至れない。

 

樋口が教えたくなかった、自分でも忘れていたかもしれない大切なものの一端を垣間見たシャニPが今後どうサポートしていくのか、また樋口個人がどう考え今何を目指そうとしているのかへの感心が高まった。

 

今後について

樋口コミュって、(幼馴染組の話以外は)読み手の安易な想像とか期待を上回ってくるというか、これ逆張ってね?というくらい予想できない方向に突き進んだりするので、ここからどう舵を切っていくのかはゆっくり見守りたい。

 

今気になっているのは樋口と浅倉のコミュが思いの外少ないことか。樋口の浅倉に対する感情、浅倉の樋口に対する感情は本人たちがわかってればいいし神視点でそれを探るのはなんだか気が引けるのだけれど、【UNTITLED】でやけに濃ゆい描写ぶっこまれた割には1年くらい静かな状態が続いてる。

 

とはいえこの2人のコミュを濃くしすぎるともうなんかジャンル変わっちゃいそうだし、幼馴染組の中でこの2人だけが取り上げられ、消費されてしまう恐れがあるし、みだりに踏み込まないほうが良いという向きもあるとは思う。s系統のコミュの中でアレだけが尖りすぎていただけ説もあるし、ユニットイベのシナリオが進行してから扱われるようになる算段なのかもしれない。初期sRで結局浅倉に切り出せなかった質問があったりとか地雷が埋まっている感はありつつも、シャニマスは断片的に見せた情報を明確に消費していくタイプのコンテンツでもないし、初期sRで提示されたように浅倉は樋口がわかっていればいいとしているのでそれで良いのかもしれない。

 

まあ2人の絡みが少ないというよりは、樋口から見た浅倉は樋口視点で描写されてるけど、浅倉から見た樋口は浅倉視点ではまだ描写されて無い(?)点に引っかかっているのだろう。

 

樋口にはsコミュも期待しているので、そういう面も含めて引き続き追っていきたい。

シャニマス さざなみはいつも凡庸な音がする 感想

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番組ディレクターがノクチルに期待していた破天荒さ、視聴者の心身を鍛えてこいとする決定、どちらも天塵での騒動や、それ以降も緩いノクチルの姿を受けて作中ファンから求められている要素であると同時に、プレイヤー側の欲望として捉えられるようにもなっている(俺も破天荒さに惹かれた部分は大きいし、実際天塵直後はノクチルはロックとかヤンキー集団とかそういうツイートを見かけていた)。

 

なんか色々期待されてるっぽいけど普段のうちらってこんなもんなんですよねって感じで他者の欲望をすり抜けて素を貫徹していく、だけではなくメンバーの中で特に成長や変化に高い志向を持つ小糸が悩んだり焦ったりするけれど、その葛藤も緩やかな連帯の中で柔らかく消化されて終わる。4人の変わらない良さ。それ自体は大変結構なことだが、、結局俺が見たかった具体的な”次”は”今”やってこないまま終わった。この内容ならユニットイベじゃなくてsSSRで消化してくれても良かったとさえ感じた。

 

なんか樋口が助け舟を出して雛菜がつよい思想を述べて小糸が納得して、浅倉は終始微笑していた(小糸の問いに無言のままで翌朝寝不足になっている浅倉とか、想像を掻き立てる余地も無くはなかったが)。タイトルから今回はこういうコンセプトですよと伝えてくれているのだが、いるのだが!事前に心理的なハードルを下げるよう努めていた自分も、やっぱり無意識下ではかなり期待していたことを失望感に打ちのめされながら悟った。俺のような“動き”を見たがる人間を牽制するようなシナリオになっていること自体は別に良かったのだけれど、ドラマ成分が抑制された中にある侘び寂びをあまり面白みとして摂取できず、物語として、飛ばしても今後の流れに影響無かったよねくらいの感覚になってしまったのが悲しい。

 

イマイチと感じた作品の感想を出すときはできる限り良かったと感じた要素とか興味を引かれた要素を挙げるようにしているのだけれど、よりによってシャニマスのノクチルイベで、そういうのにマジで心当たり無いのが割と本気で辛い。

 

 

前日にやってたtwitterキャンペーンはかなり良かったんだけどな....

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 感想

面白かった。

 

タランティーノ映画といえば退屈な長話、そこから無慈悲な暴力への突然への転調へのイメージが今でも強烈なのだけれど、本作はそれを映画一本の尺を全て使って実行しているような印象がある(これはオチまでの過程が全て退屈だったわけではないが、ヒッピーに食い物にされるかつての仕事仲間や繰り返されるシャロン・テートの日常描写など、"溜め"が多めだったくらいのニュアンス)。

 

再起に賭け、葛藤するニック・ダルトンと飄々としたクリフ・ブースとのブロマンスが描かれるかと思いきや『兄弟以上、妻未満』なのにも笑ったが、最終盤の爽快感が全てを持っていった。

 

昔「アメリカ人はスプラッター描写を笑って享受している」という趣旨のハナシを友人から聞いたときはオイオイオイまじかよ。やっぱ狩猟民族はぶっ飛んでんなとか思っていたのだけれど、そんな俺もクリフとブランディが大暴れするシーンで気がつけば腹から声を出して笑っていた。人生で初めての体験。

 

途中まではずっと現実に根ざした、フィクションの裏側を明かすような地道な展開が続いていたのに、作中を通してニック以外の人物からは暴力的なにおいを理由に敬遠され、拒絶されてきた、今作における暴力の擬人化とも言える存在であるクリフ・ブースがついに暴力を解き放つと共に現実味を帯びるよう地固めされていた世界が溶解し、フィクション作品としての閾値が急激に跳ね上がり、愛らしい相棒のブランディさえも凶暴さをむき出しにする。驚異にさらされた悪魔たちは絶叫を繰り返すことしかできず、シメを持っていくのは往年のスターであるリックが実習で獲得したフレイムスロワー!残虐な絵面なのにBGMの相乗効果もあり、笑いが止まらなかった。この転調を楽しむことが第一に来る作品と俺は受け取った。2番目に来るのは監督の映画(あるいはフィクションに向けた)愛を感じることだと思う。

 

今作を観るにあたってシャロン・テート事件以外の一切を履修していないので、今でもブルース・リーがなぜあの扱いになったのか飲み込めていないのだけれど、まああれもこれも多分映画史的な文脈さえおさえていれば理解できる内容なのだろうと思いつつ、タランティーの映画愛を感じ取りラストシーンに大はしゃぎできれば受け手としては及第点だろうと捉えておく。良い娯楽作品だった。