ガールズバンドクライの感想 / スターレイルを開始 / SEED FREEDOMを観た

■ガールズバンドクライの感想

結構面白かった。

 

良かったライブ回を順番に並べると

5話>11話>1話>7話>3話>>>13話

 

・5話/『視界の隅 朽ちる音』

まず曲が強すぎるし、独断ですごいコメント入れたシャツをメンバーに渡すニナが尖っててイイし、ツカミからバッチリ。このライブ直前に煽ってきたガールズのノリが嫌いな男が最終話の会場にもちゃんといたのは笑ってしまった(お前ただの強火桃香ファンだろ)。

 

・11話/『空白とカタルシス

フェスというシチュエーションもあいまって最高潮のトゲナシトゲアリであった

野外のライトアップと時間経過とともに増えていく観客は1話からの成長をストレートに見せつけてくれるし、ニナが”粉々になれば綺麗の”あたりで拳を握るのも趣がある。パワー!

 

・1話/『空の箱』

桃香と敵対関係にあったバンドマン2人が「どうする?」って視線合わせて開幕迷ってから、ノリが良さそうな革ジャンさんが最初にドラム叩いて入ってくるくだりめちゃくちゃ好き。雨が降ってるのもあり誰一人足を止めないが、この時のニナ(達)はオーディエンスに歌を届けるみたいな意識は皆無でとにかく気持ちよく演るぜ!みたいな感情が迸っているのが良い。

 

・7話/『名も無きなにもかも』、3話/『声なき魚』

結構好き

 

・13話/『運命の輪』

なぜ最終話のライブが最下位なのか、それは作中で強調されていた通り、曲にパワーを感じなかったから。にぎやかでキャッチーな曲調に今籍を置く世界と人間関係に満足した様子の歌詞が合わさり、完全無欠の大団円を演出するかのよう──これではトゲナシトゲアリのファン層に受けないのも当たり前で、作中でハネなくて当然。きのこ帝国で例えると、ファーストアルバム『渦になる』に聴き入っていたら最後の最後に突然クロノスタシスが流れ始めるようなギャップがあり面食らった。

 

 

ドラマとしてはニナと桃華が和解する8話がピーク(ここ良かった)。

いっぽうでニナの帰省を扱った10話には落胆してしまった。過去の出来事がニナに残した爪痕やが本作品の重要なフレーバーであったはずなのに、意味深な描写の割には不器用な父と娘のすれ違い的な文脈に吸収されて凡庸な人情ドラマに落ち着いてしまった...。

 

エゴとパトスを最優先し狂乱する様子を見せつけてきたニナも、このエピソードを経て後々「お嬢様呼びに反発してたけど実際はその通りだったかも」的に自省したりと、落ち着いていった。これが王道ストーリー的な”成長”の描写だとしたら残念極まりない。これは俺の欲望サイドからの感想でしかないが...。

 

 

12話・13話は対ダイダスおよびヒナとの因縁に決着をつける回だが微妙だった。売れてきたとはいえまだまだ木っ端なトゲナシトゲアリをわざわざ潰しにくるダイダス事務所側の意図が気になったが、あちら側を代表する事務所キャラが一切登場しなかったことによって肝心な”対決”の起点はボンヤリとしたまま、なんなら後から救済措置を提案してきた始末(ダイダスメンバー側からの提案だったっけ)。

 

ダイダス所属事務所がトゲナシトゲアリを潰しに来る理由は桃香がいるとかニナが表明しているとか色々あるけど、桃香脱退直前もギリギリまで気を遣ってくれてたみたいな描写あったし人格を持つキャラが登場しないので何がしたかったのかわからず、おまけに桃香の新曲が微妙で実際作中でも全然ウケてなくて...と盛り上がれる要素が無かった。

 

その次に、迷惑かけたので事務所やめます!も呑み込めなかった。ケジメをとるなら脱退じゃなくて今後の活動で取り返すのが筋ではないか?トゲナシトゲアリ側にとっては誠意を込めた対応のつもりでも事務所に大人の論理でマジレスされるんだろうな〜と眺めていたら、ミウラがあっさり受け入れてしまって終わった。こういう違和感が生じる場面に遭遇すると純粋な作品そのものではなくて制作者側の意図や都合を強く意識してしまう。リアタイだったら気絶していたかもしれない。

 

ヒナとニナの関係に関しては、ライブ観に来たヒナがほほえむとこまで描写したのは俺的にはやっちまったなという感じでキャラクターとしてのヒナへの興味が消え去った。底が見えてしまう描写あんまり好きではない。ハリウッド映画のラストとかならいいんだけど。

 

トゲは抜け、満足感に包まれ、事務所は脱退、先行きは未確定だけど進むべき道を進んでいる確信を持ちつつの参加者への感謝を述べてエンドロール。

 

ざっくり振り返ると10話と12話・13話が相当微妙だったが、11話を終盤の実質的な〆として見れば、なかなか拝めないハイクオリティな3Dアニメーションのパワーを発揮している良作品。メインキャラの演者が本職声優ではない演奏者だが、そのキャスティングによって会話シーンの空気感がほどよく邦画寄りに調整されている。新しいタイプのアニメを観たい+良い音楽が聴きたい人におすすめしたい。アルバム『棘アリ』は必聴。『極私的極彩色アンサー』『理想的パラドクスとは』もアニメでやってほしかった(2期を期待するしかねえ)。

 

終盤のドラマ運びは好きではないが、ガールズのノリが嫌いな人や革ジャンさんが最終話でライブ会場に来てくれてたのは素直にほっこりした。ガールズのノリが嫌いな人は多分ただの厄介桃香ファン。

 

 

2期があるならもちろん観るしシナリオも期待する。

 

 

■スターレイルを開始

ホヨバースのゲームを一瞬味見して辞めるを繰り返してきた俺だが、スターレイルはメインクエストを最深部まで完了する程度には継続してプレイできた。ちょうど開始から1ヵ月ちょいくらい。

 

”オープンじゃないフィールド”というアチーブメントがある通り、いわゆるオープンワールドではなくエリア制のRPGとなっているが、あの手この手で限定された空間やオブジェクトにイベントを詰め込んでいる手管への好感度が高い。同じ道を何度も通ったりクエストをこなしていくなかでモブ顔の名ありNPCの人柄や性格などが理解できるようになっていくのも興味深い。

 

シナリオはオーソドックスな英雄譚寄りで、それが特に顕著だったのがヤリーロ編と仙舟編。共に敵対者の掘り下げが不足しておりやや消化不良ぎみだったので、大事な人を失ってブローニャが絶叫した直後に三月なのかが「今回も一件落着!」とか言い出した時はマジで笑ってしまった。お前...心まで六相氷でできているんじゃないのか...

 

半面、ピノコニー編は素直に感心する出来だった。これまでの明白な善玉と悪玉が対立する構造を捨て、本当の敵対者は誰なのか、この事件は誰がどのような理由で引き起こしているのか?とミステリ仕立てになっていて、シナリオ進行中は先が気になって仕方がなかった。結末はいつもの英雄譚のノリに戻ってきたのが少し惜しかったが、過程で楽しませてくれたので満足。あと時計屋のエピソードがちゃんと良くできていた。Fallout New Vegasのユリシーズに言われたことや、サバイバリストことランダル・ディーン・クラークを連想するシーンもあった(俺がNew Vegasを好きすぎるだけかも)。

 

ストーリーを進めていると開拓者/星穹列車サイドが高潔な正義として振る舞うし周囲にもそのように扱われている(世界観通り)。これはこれで少々鼻につくところはあるのだが、この点には開拓者と三月なのかのパーソナリティでバランスをとっているように見えるのが面白い。開拓者の奇矯なふるまいは狂人一歩手前に見えるし、狂人ムーブのひとつであるオブジェクト、とりわけゴミ箱に異常な関心を持つことがわかるモノローグは完全に『ディスコ・エリジウム』から拝借した要素なので元ネタからして強い。なのかはデリカシーが無い。

 

ふだん主人公を自分で作成・選択するゲームでは基本的に男性キャラを選択していたのだが、スターレイルでは星主人公にしていてよかったと感じるシーンが続出する。お化け退治イベントでフォフォたち女子グループと共に夜な夜な配信活動や何気ないアホなやりとりをするとき、ここで穹主人公だったらキモく感じてしまったんだろうなあと思ったし、他にも色々ある。ただこれは俺の感性の問題でしかなく、穹主人公で違和感なく楽しめている層ももちろん男女問わず相当数いるであろうことは想像に難くない。これまではどちらかというと女性主人公でプレイするゲームは作品への没入感がそがれると感じるほうだったので、女性主人公にしていてよかったと感じるのは新鮮。

 

■SEED FREEDOMを観た

全体的な作品の出来としてはかなり微妙だが、アスランの登場シーンがだいたい面白いのとシンの戦闘シーンだけでまあまあ楽しめた。

 

特にアスランは最初にズゴックで参戦してくるシーンから全ての絵面が絶妙に面白く、しかも圧倒的な戦闘力を保持していて一人だけ無双するのでもうHIGH & LOWの琥珀さんみたいなオーラを纏っていた。親友をぶん殴って説得するシーンとかまんまヤンキー漫画のノリだったし、エグザイルの曲を戦闘シーンにつけても違和感がない。

 

シンは期待熟練度星1のジャスティスからMASTERの運命に乗り換えてからの戦闘が超爽快。いちばん気合入っていたんじゃないかと思う。知らないよそんな武器!?でもカッコいいしウケるからok。

 

この2キャラには好意的だった半面、キラは..ドラマの発端がしょーもない洗脳能力とNTR誤解なのもあるし、ナイーブなだけで自分から問題に対処しようとしない若者キャラってもうどの層にもウケないよねみたいな目で見てしまった。

 

ナチュラルとコーディネーターの対立が作中の対立構造を支える最重要要素だったのにあっさり第3の優生種を出しちゃうのとか、アグネスってルナマリアとの対比狙いかもしれないけど本当に必要なキャラだったん?とか色々違和感を覚える点も多かったが、キラ達がコンパスとして活動しても紛争は終わらないし陰謀も動きまくってるくだりは良かった。劇場版ガンダムWが力技で世界は平和になって武力放棄しました!で〆たのがまだ心の奥でわだかまりになっていたらしい。

誰も永遠には生きない / クレしん映画だいたい全部観た / 久々にゲームを投げだした

■誰も永遠には生きない

5月24日夕方、やたら体調がおかしいと思い熱を測ってみたら平熱低いこの身が約39度をたたき出したので、仕事上完全に機能を停止しなくなった場合の備えやら食料・飲料水の準備やらに忙殺されることとなった。

 

夜になると発熱は40を超え、全身の関節が痛み、喉はドロドロに膿んでいるのか唾を飲むだけで激痛が走るうえに咳がとまらない。頭にヒビが入っているのかと錯覚するような頭痛も立て続けに襲ってくる。肉体の内側で奏でられる苦痛のオーケストラに気がめいってしまい、ネトフリの映像作品で痛みをやりすごそうとする試みは空振りにおわった。

 

いちど意識を手放して眠れたが、ふたたび目覚めた深夜には症状がさらに激化し、もはや人並みの思考すらままならぬ。こういうとき独り暮らしは弱い。せめて何かええ感じに人生を振り返ってから死ねたらよかったのにとボンヤリ激痛に耐えながらベッドの横に何気なく目をやると、『バットマンキリング・ジョーク』表紙のジョーカーと目があう。

 

 

 

"SMILE!"

 

この愛すべき漫画とキャラクターのメッセージに改めて感銘を受けた俺は枕元にうずもれたiphone13を取り出し、オインゴ・ボインゴの"No One Lives Forever"をスピーカーで再生し、再び横になった。

 

www.youtube.com

 

誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も...

誰も永遠には生きない

 

"No One Lives Forever"を流しはじめてから、ベッドの上で芋虫となっているこの身を駆け抜けていく様々な苦痛がまるで爽快なまでに抗いがたい破壊そのものであり、圧巻ではないかとぼんやり感じるようになった。このような病をある種圧倒的な力とみるならば、圧倒的な力によって滅びていくのもドラマチックで悪くないではないか、早乙女正美くんだったらどう解釈するだろうか?などと思考がガチャガチャし、半ば夢見心地で意識を手放した。

 

翌日目が覚めると、熱は37度台後半まで落ちた。喉の痛みと咳は残っていたが、アアまだ死んでないんだと気付いた。前日の死を覚悟した高揚感はどこかへと消え去り、余韻に浸ることもなくルーティン的に日常を継続させた。冷蔵庫を開けて買っておいたウィダーインゼリーを啜り、時間になっても到着しないamazonの配達便に怒り、外出できないので宅配で何か手頃なメシを頼もうとして料金設定の高さに眉を顰めた。

 

14年前、雨の日の新聞配達中にとあるアクシデントがあって俺の肉体は宙に投げ出され原付が大破したことがあった。いざ接地してから身を起こすと自分の肉体には傷一つついておらず、怪訝な顔をしながら原付を引っ張って店まで戻った。あの時俺は死んでいたのかもしれないなどと時々回想していたが、それなら2回目の死をこの日迎えたといっても過言ではない。1回目は唖然とするほど刹那的なものにすぎなかったが、2回目はなかなかに愉快だった。

 

今では症状も少し咳が出る程度まで回復した。身内のVCに入ってだべっていても、やはり咳が出る。俺がせき込むたび、「なんか死にそうな人いる笑」とフレンドがネタにしてくる。もはや鉄板の返しとして定着しつつあり、お前それライン超えてね?って温度感がなんだかおかしくてマイクをミュートにしてまたちょっとせき込んだりなどしている。

 

咳が治ったら、部屋のどこかへ行ってしまった『シーシュポスの神話』を探し出してまた読もう。

 

────

 

先週はろくに動けなかったので、引き続きクレヨンしんちゃんの映画の消化が捗った。

 

新しめの作品では『天カス』と『ラクガキングダム』の2強という評価になるが、どちらか1つだけを上げるなら断然『天カス』だろう。クレしん映画はおおざっぱに笑って楽しめる寄りと泣ける寄りの2つにカテゴリを分けることができ、昔から評判がいい『オトナ帝国』や『アッパレ戦国』、『ロボとーちゃん』も後者に属する。そしてこれら”泣ける”側のなかでは、死や2度と再会できないかたちでの別離が用意されている展開が特に目をひく。いや『ラクガキングダム』も実際良かった。良かったんだよ『ブタのヒヅメ』の直後に観ても良かった。だけど死による別れプロットってやっぱりフォーマット自体が強力すぎて反則球を投げられているような感覚も覚えてしまうわけだ。

 

なんだけど『天カス』はとびぬけている(「そんそじょそこらの~とは違う」論法、俺も嫌いなんですが見逃してくれませんか)。『天カス』が扱っているのはドラマティックでもなんでもない、死なんてほど絶望的なわけでもない、別離というほどでもない、生ぬるいが現実的な人間関係の変化への恐れである。このテーマを徹頭徹尾描きつつ本格ミステリをやり、学園をやり、青春をやり、最後にすべてを結び付けていく手腕がいちばんあざやかであると確信した。

 

もちろん泣き0で普通にエンタメに振ってるクレしん映画もちゃんとおもしろかった。

『カンフーボーイズ』は本当にカンフー映画ものを真面目にやった結果カスカベ防衛隊の戦闘力が信じられんほど引き上げられていたりしていろいろな意味でおもしろく、『B級グルメ』は四天王枠がキャラ弱くてややグダりもしたが大人のお姉さんが真っ当すぎる言い方で怒られるシーンが普通にウケるし、しょーもない怨恨からはじまった物語を綺麗に落とす流れが心地よい。あとなんといっても『雲黒斎』。ガチチャンバラアクションから大人になったしんちゃんの姿(!?)にコナミコマンドまで盛りだくさんすぎてエンタメ寄りクレしん映画ベストはこれで揺らがない気がする。

 

────

 

『ドラゴン・エイジ:インクィジション』を序盤で投げてしまった。

これはどんなゲームでも最低終盤までは遊ぶ俺としてはなかなかない事態で、俺自身も戸惑いを覚えている。

 

たしかにUIは不親切だし戦闘も面白いとはいえず、移動はおっくうでサブクエストが退屈。だがこれはスルメゲー特有のエンジンがかかるまでの期間的な問題にすぎず、実際

メインクエストのストーリー展開やそれにつながっていくのであろう選択肢の数々、各地に残された膨大な世界観設定資料などなど期待できる要素もめちゃくちゃデカかった(アンドラステの忠犬のエピソードが好き)。

 

それでも投げ出してしまったのは、ひとえに『マス・エフェクト』シリーズを全部やったうえで同じ開発元からこれが出てきた事実にショックを受けてしまったからだろう。端的に言ってプレイフィールがあまりにも悪い。ささいな素材を収集するにも逐一モッサリとした待機時間が発生し、それはナラティブレベルの体験とは程遠いものになっている。

 

いや~これ...ひどいって!そこはドラゴンエイジのおもしろさの本質じゃないよとか言われるかもしれないが...。俺からすると意味わからんわけ。だって『マス・エフェクト』シリーズでめちゃくちゃ微妙なゲーム性の初代からスタートして、2で別タイトルレベルに基幹ごとブラッシュアップしてさらに盛り上げて、でも物語やキャラ設定、ストーリー展開自体は1からめっちゃいいままって流れをもう味わっているわけ。だけどドラゴンエイジDLCあるとはいえ1作内で完結してるから劇的にゲーム体験が変わるわけではないことがわかりきってしまっている。

 

こうして、エルデンリングDLCまでの待ち期間に遊ぶゲームをどうするか問題が浮上した。当初はoutcastを予定していたが、COVIDやら椅子買い替えやら宅配やらで5月の出費が激しかったのでcash outは防ぎたい...と考えたとき、今年の秋くらいまでキープ予定だったスターレイルの存在をおもいだした。

 

ターレイルは最近周囲の知人が立て続けにハマッていて、みんな共通して口にするのはだいたいこんな内容だ。「とにかくプレイ中快適すぎる」「常にやることがありスムーズに誘導されるので遊び続けてしまう」「俺、ファームの気持ちよさわかった!」

 

頭ラストオリジンのろわさんから有名ブログでおなじみのLWさんまで全員口々にほめたたえていて、実際俺もps5版を味見しはじめた時はmiHoYoゲーで初めて遊び続けられるタイトルが来たかもしれん、と思えてはいた。

その際はスト6に集中するためアンインストールしていたのだが、このエルデンリングDLCまでにできた空白の期間ですこしスターレイルを味見しなおして改めて感触を確かめてみようとおもう。とはいえ対戦ゲームならともかく、RPGで経験者にプレイを監修されるのはあまり好きではないので俺なりのペースでおもむろにというスタイルになるが。

 

温度差で風邪をひくくらい快適なゲーム性とやらを見せつけてくれ、CONGOSPHERE...!

 

そして『ドラゴンエイジ』、10年前発売のやつは俺には響かなかったが、新作には期待している(難航してるっぽいが...)。