39巻まで読んだときの感想↓
期待していたヴィランサイドの輝きは霧散してしまったが、これまで描いてきたテーマの結実を一般市民でしかない老人が為し遂げる〆の完成度が高く、これだけで作品としての評価は高い。
ヒロアカは個人の限界を強調する作風で、それは平和の象徴であるオールマイト(=原理主義的なヒーロー)に拠った社会があっけなく破壊されていく様子から独りで何とかしようとするヒーローがボコられて仲間に助けてもらってなんとかなるレベルの展開まで通底している。だからヴィランも誰にも寄り添ってもらえなかったはみ出し者としてキャラの成り立ちに孤独が関わっていて、この法則からはラスボスたるAFOすら逃れられない。ついでに言えば一握りの英雄が無力な市民を献身的に守る社会像をオールマイトが守っていた裏側ではナガンがヒーロー側の堕落を処理させられていた実情もあった。
代わりに提示されるのは、つらい時でも誰かが”来て”くれさえすればみんななんとかやっていけるよねという素朴ながらも共感性が高いテーマで(実社会で仲間の重要性や恩恵にうとい人は希少であろう)、それをただ未来への可能性あふれる若者や彼らを間近で支える成功者側の大人が実行するだけならフーン立派だねとしらけてしまうところ、かつて孤独な子どもを見放した業を持つ老人に〆させるところにヒロアカの本懐がある。かつてベンおじさんが遺したワード”大いなる責任”は、いまや大いなる力を持つ者に限定されず、すべての者に伴うようになる。この崩し方は素直に良かった。
テーマの見せ方・掲げ方は評価するが、性善説的な結論に符号させるかのように世界が平和に向かっている様子を純粋に心良いものとは思えなかった。世の中の不条理が弔との決着のなかで白黒つき、トーニオ・クレーガー的に"片付けられてしまって"、対立も緊張もない夢物語に感じ入るものはない。天は空にしろしめし、世は全て事もなし!BLAH BLAH BLAH
キャラとしてはトゥワイスが特に好き。
トガは麗日に、弔はデクに”救われ"、あれだけしぶとく暴れていた荼毘すらほだされてしまう流れに対し、トゥワイスが最後まで曲がらずに退場していく姿は素晴らしい。