そこはかとなく最近の日記

■ヒロアカを39巻まで読んだ

まあまあ面白い。

 

人類に異能="個性"が発現するのが当たり前になった世界観であり、悪化する治安を職業ヒーロー制の導入で対処しているのが資本主義すぎてウケる("個性"を悪用する者は”ヴィラン”とコミックにならったレッテルを張られて商業的に利用される)。

 

物語的には平和の象徴であるオールマイトが掲げた理想を主人公たち学生が継承していくというのが大筋になるのだけれど、ぶっちゃけ物語の面白さの源になっているのはヒーローではなく味わい深いヴィランだと思う。資本主義的なヒーロー性の歪みを指摘するステインが社会に波紋を呼ぶ展開がその始まりであり、過去の記憶を取り戻しても「悲劇的なんかじゃない」と断言する死柄来、<普通>の感覚からズレていることを自覚し、ズレている者(ヴィラン)同士での信頼感によってその穴を充足させようとするトゥワイス、物語の展開から微かな迷いが諦念に変化するトガヒミコらは代表的な立役者だ。それに対しヒーロー側は保守的というか進むべき道筋が明確である(学生を導く存在がいるので当然の流れだが)。目指す理想にどのようにして辿り着くか、という点にだけ葛藤があるヒーローサイドに対してそもそもヴィランという立場でどう生きていくかに個性が出るヴィランの魅力が勝るのは自然とは思う。また主人公のデクを始めとしたアカデミアの若い学生達が古典的な黄金の精神を肯定する方向へ突き進んでいくのに対し、ヒーローとしての泥臭い葛藤や憔悴はエンデヴァーやホークス等の大人に回ってくる構図になっているのもヒーローサイドの味気なさを後押ししている気がしなくもない。

 

まあ古典的とはいえうまくいけば面白い王道、ヒロアカのヒーローサイドの話はその点を意識しても一定の面白さは保証されており、上に挙げたヴィランサイドのドラマ性が魅力的すぎて霞んでいるだけのこと。しかしながら、デクのヒーロー性の失墜と再起が大テーマであったろう対極道編は本当に面白くない。昔途中で読むのをやめていたのだが時期がこの極道編の真っ最中だったことも読みながら思い出してしまった。デクやミリオがあの時救うべきだったのに救えなかった...と後悔する展開に対して、ヒーローらの擁護のためなのかエリ側は勇気づけられていた、という描写が「手が優しかった」にゆだねられているのは酷い。オーバーホールが仁義を欠いた他者への献身者止まりの小物に過ぎなかったのもあり、読み進めた直後なのにもう記憶が薄れ始めている。

 

だが、そこを越えた直後の文化祭編は一番好きだ。これまでの大仰な思想を持ったヴィランに対し、たいそうなヒーロー精神で立ち向かうという壮大めいたスケールから一転、学友や子どもが待ち望んでいた文化祭を中止させたくないデクと騒ぎを起こして承認されたいだけのジェントルのバトルは命のやりとりも介在しない本当にしょうもないバトルなのだが、しょうもなくてもお互いに絶対に譲れない動機を持って臨んでの戦いだったため素直にワクワクしながら見守っていた。

 

 

最新部分である終章の決戦では大戦力同士でぶつかっているが...ラスボスであるはずのAFOもなんかずっと暴れてる荼毘もやけにタフだなあくらいの印象しかない。

俺の興味はもはやトガの諦念に麗日がどう決着をつけるのかの一点が半分、もう半分は最終的に死柄木が覚醒するか否かと、何を選択するかにある(個人的には、『ノーウェイ・ホーム』でヴィラン達の”治療”に嫌悪感を抱いたのと同じ感覚を死柄木を上から目線で救おうとしているデクに対しても抱いている)。

 

最後にこれだけは書いておきたいのだが、作者がエロ大好きなことを堂々と表明しているのすごく良い。「透明人間は女性キャラに変更した方が良いと思った」とか中々正面から書けることではない。クリエイターならではの真っすぐな姿勢に感銘を受けた。

 

■『グランド・ブダペスト・ホテル』を観た

闇鍋サーバーでぶろこりさんとウォチパ。視聴中はミュートで終わった後感想を話すのかと思ってたがおもろいシーンでぶろこりさんがげらげら笑ってたのでああ映画館と同じかと合点がいき、途中から俺も声を出して笑った。

 

かなり面白かった。

ウェス・アンダーソン映画をちょこちょこ見た感想としては

 

・映像造りや演出が秀でている

・変人が多い

・テンポが異常に良い

・ブラック/シュールなギャグシーンがするっと挿入される

・ストーリーは素朴

 

みたいな印象がある。なかでも本作はわかりやすく良質なエンタメと、少しだけ物語を解きほぐすことで近づけるテーマの相性が非常に良い。さすがに代表作と謳われているだけあるとうなずいた。

 

なんといってもこれはグスタヴの映画だろう。ヨーロッパの洗練された文化や理念を誇りとし、その儀礼に従う一方、汚らしくも可笑しい人間性が響く。どうしようもないヤリチンだし、愛し合った女性が遺した芸術品を一生鑑賞すると話した直後に「いやそろそろ戦争始まるしやっぱ売るわ」と宣言する切り替えの早さときたら!

彼の(旧ヨーロッパの)理念がロビーボーイには直接引き継がれず、作家の手を通して後世へ伝えられていくオチも見事。

 

ぶろこりさんに「昨日の世界」が本作に大きなインスピレーションを与えていると教えてもらい手に取ってみたのだけれど、実は大学時代に途中で読むのをやめた本だったことがわかった。何やってんだ俺は笑とか考えながら読み進めていくと、どうやら過去の自分と同じ壁にぶちあたった感触がある。文章は面白いけど全てが満ち足りている調和的世界の描写が退屈で耐えられない!戦争が始まってからが本番という感想を見かけたので、気が向いたらそこまで飛ばして再トライする予定。

 

 

■映画『グランツーリスモ』を観た

原作はあまり知らず特にカーレースに対しての思い入れも無い状態だったがまあまあ面白かった。

 

ヤンのことは置いておいて、映画的に最も重要なキャラクターはマーケティング担当のダニーだ。日本人ビジネスの場に向けてタクシーの中でちゃんと装いを整えたり、チーフエンジニア選びではNO FUCKIN WAYとまでメモ書きしていたジャック・ソルターにもそんな本心を悟られないような態度で説得にあたり、しっかり刺さる言葉をチョイスできている仕事人ぶり。そしてそのビジネス的な誠実さ/シビアさは、GTアカデミーの最終試験においては「今後のビジョンを考慮するとカメラ慣れしてないヤンより僅差のマティを合格にしたほうがよくね?」と提案するシーンや、「もう結果を出すしか無い」と話したレースにもかかわらず、上位狙いに反対していやもう完走するだけでいいと叫ぶシーンにまで通底している。

 

勝負の世界は情熱と狂気で物語が牽引されがちなだけに、彼のような冷めたリアリストの存在は大きい。冷静なビジネスマンがいるからこそ狂熱的な競技者としてのヤンとジャックの姿勢がより鮮明になり、またダニーがいなければトラブルは収拾がつかず、夢の舞台が現実にたどり着くことも無かった。このブレンド具合が最高にイイ

 

"SURV1V3"が山場で流れるんじゃね!?と謎の確信を抱いてめちゃくちゃ期待していたがまあ普通に流れなかった

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■存在しない記憶のこと

最近オン・オフでちょくちょく遊んでもらっているたにいパイセンから、「ぼくもですけど、うちの彼女もづまさんのこと結構好きなんすよ!」という話を聞いた。

いわく「初めてづまさんと話した時に犬の動画とか写真見せてきたけど、普通そういうことする男って異性狙いの口実としてしかしないのにづまさんはマジで邪気が無くて犬にしか興味が無いのが伝わるレベルで、だから信頼できるみたいなこと言ってましたよ」と(聞いたのが結構前なのでうろ覚え)。

 

当の俺は「ほえ~...」と流すどころか正直焦った。

たにいパイセンの彼女さんと軽く言葉を交わしたことは覚えている。ただその当時、実家はまだ犬を迎えておらず猫だけだったはず。

俺はいったい何の犬動画or写真を初対面の女性に見せたんだ!?

 

と冷や汗が出た。

まあでも思い返すと、新社会人時代、女性の先輩に谷底さん私製の黒柴写真アルバムを持って行って見せたこととかあったし、かわいい犬の情報をシェアする妖怪としてこの世に生を受けたのかもしれない。夏にたにいパイセンちにお邪魔したとき、実家の犬の写真の束を渡されたのも多分その流れだった可能性は高い。

 

俺は日頃から記憶に無い範囲で洒落にならないことをたくさんやらかしているのだろうなとボンヤリ考えていた。周囲の方の許容(あるいは看過)に感謝。