おぼえがき(シン・ウルトラマンの感想とか)

■シン・ウルトラマンを観た

オリジナルのシリーズにはうとい。王道のヒーロー映画が展開されるんだろうくらいのボンヤリとした感覚だったが、予想とは違う展開を見せ、最終盤はビビった。展開そのものはテンプレだが、お前がそっち側なの!?もともとそういう温度感だったの!?いう面で驚かされた。オリジナルのシリーズファンである知人からしても「イメージと違ってショックだった」とのことで、捻りが加えられた要素なのだろう。無根拠に庇護されるよりは能力を提示して認められるほうが好み寄りではあるが、子ども向けコンテンツにしてはかなりシビア寄りな価値観だなあと思ったが、コレは俺が現代の子どもの価値観を知らないだけで、現実が見えている子のほうが多いのだろう(キッズの鬼滅義勇ファンが地味に多いとか聞いたことがある)。

 

個人的には外星人同士の、知性がありながら感情の欠乏した会話がかなり好み。「お前たちは人間をなんだと思ってるんだ!」的な義憤も必要以上の情感を込めて発されることは無い。洗練されたSF小説を読んでいるときのような気分になれた。人間味を有するウルトラマンだけは外星人のなかでは感情が強めになっているが、その対比がいいスパイスだ。

 

浅見と外星人関連の描写には首を傾げる部分もあったが、終盤のVRシーンで滑稽さについて明確に言及されていたことから、映画内のいびつ・シュールな描写は、いずれもウルトラマンの戦闘シーン中のクラシックを尊重するがゆえに内包されるシュールさをカバーするために入念に仕込まれていたのではないか程度の受け取り方になった。むやみに製作者の思想や価値観を邪推するよりは、作品と照らし合わせたときに自然か(そのような解釈が可能か)を重視したい。

 

FF14

去年10月に開始。進むペースがおそすぎてもう暁月がでてしまった。今は漆黒。

 

ヒーラーとして遊んでいるが、特にエンドコンテンツ級のダンジョンに踏み込むどころかデイリーすらこなしてなくてもレベル上げに支障ないのがとても助かっている。ダンジョン攻略も蒼天、紅蓮、と進むたびに面白い内容になっている。

 

シナリオ的には退屈なパートと面白いパートの差がかなり激しい。

ユニークだと感じたのは、他キャラにもかかわる重めの設定を持ち、いかにも物語上重要な役割を果たしそうなキャラクターが、あまり目立てていない/キャラが立ってない場合、容赦なくプレイヤーと直接関わる機会が激減する”僻地”へと飛ばされる流れがあること。

 

特に紅蓮は特定重要キャラのために用意された舞台といっても過言ではないレベルに達しているはずなのだが、かなしいことに全くキャラが立つ気配が無く、解放編(4.0分?)終了後、すぐさま影が薄くなっていった。

 

その一方で開発的には大躍進だったんじゃないか?ってキャラもいる。アルフィノは間違いなくその代表例だろう。最初にあった時なんか、妹と一緒に各国の演説を聞く主人公の真横で国の悪口をボソボソ指摘するハイパー陰キャムーブをカマしていた。そんときは、もう絶対こいつ将来敵対するだろとか思っていた。紅蓮がちょっとアレだったのは、蒼天でアルフィノの成長物語をうまくやれてたぶん差異を出すのが難しかったのも大きそうだ。

 

漆黒も粛々と楽しんでいきたい。

 

シャニマス

>シーズ

「モノラル・ダイアローグ」良かった。

 

共通コミュ・ユニットイベの重要度が高すぎて、こちらが一定まで進まないとコアとなるユニット間の不和は全く解決・改善されないが、供給ペースが年1~2ではとても足りないのがネックか。

 

pコミュとしてはにちか側はコミュを読んでいく上でも重要度が高い一方、美琴側は彼女自身のパーソナリティが”本編”となる共通コミュやユニイベの鍵となっていることもあり、ほとんど緋田美琴の脆い部分を明示するのみにとどまってしまっているのも早く続きが欲しい一因。

 

>あさひ

「空と青とアイツ」がきっかけでシャニマス始めたので、pSSRで遊園地いったあたりからはあさひの奔放さが一定の範囲内にとどまるように収束していってしまっている印象になった。ユニイベである「Run 4 ???」でも身勝手な行動がご都合主義的な棚ぼたに結びつき、愛依に幸運のお墨付きをもらってしっかり冬優子に手綱を握られて...丸い方にいったなあ~とか考えてたんだが、俺の中で「空と青とアイツ」とGRADコミュがデカすぎて勝手にその方向性に寄ったあさひだけを期待しすぎているだけ、が真実だろう。そう考えると公式でユニットやシャニPに面倒を見てもらってるあさひが提示されているというのに、感謝祭の方向を更に尖らせたたぐいのあさひが主役のユニイベを待ち望んでいる自分はかなりオカシなことになっている。

 

誰かに世話されてなくても立ち行けるが、それはそれとして誰かがフォローはしてくれていて、その事実を気にかけているかどうかもはっきりしない、そういうあさひ像に心が惹かれすぎた。俺のエゴがヤバいレベルに達しただけで、あさひ自体はあさひのままのはずだ。あさひではなくイマジナリーあさひを見ていたというべきか。

 

>浅倉

なんで浅倉一極になったか不思議だったが、俺がイマジナリーあさひにもとめていた欲望を今もなお体現しているのが浅倉なんだろう。

 

sSSRでは大事に思っている幼馴染達とワチャワチャやってる合間でも浮いてしまっている瞬間があるのを示唆されているし、GRADまであれほど強調されてきたシャニPへ寄せる信頼も、LP編ではちょっとしたきっかけで失われてしまうのが明らかにされている。

 

浅倉は静かな渦の中心にいるような人物で、だから誰かに気兼ねなく寄りかかる一方で寄りかかられるのも苦に思わないが、実は最も狂おしく波を求めていて、しかもそれはたいてい手が届くようなものではないので共感は得られず、どうしようもない孤独さを抱えている。

 

仕事で生活上のふるまいを注意され、息苦しくなって逃げ込む先は勝手知ったる幼馴染の隣でもシャニPのいる事務所でもない。映画館(映画やドラマの鑑賞が趣味なので)。過疎って貸し切り状態の映画館で独り鑑賞中に絶叫、最終的には心中に爆弾を抱えたまま人生を続けていくことを明言...

 

確かに輪の中心にいるのに、断続的にどこにも属していない状態に回帰する浅倉には俺が求めてやまないものが詰まっている。本人の言語化が壊滅的なのもあいまって、わかりやすいけど絶対に把握できない部分がたしかにあって、安易なイメージに埋没しづらい。この予測不能さが本当に心地よい。

 

という記事を下書きであっためていたら新pSSR実装と新ノクチルイベが来てしまうとは...。備えます。