エルデンリングの感想

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かなり満足度が高かった。

 

・ストーリー面について

今回は『氷と炎の歌』(ゲームオブスローンズの原作)執筆者であるマーティンが世界観構築を担当。実質的なソウルシリーズ長期化による設定のマンネリ化を打破する試みと思われるが、功を奏したと言ってよいだろう。

 

女王マリカというキーキャラクターのはたらきが、特にそういった面で効果を発揮している。マリカはストーリーを追うプレイヤーの主要な興味や関心の対象を一手に引き受けることに成功している。曖昧でもマリカの行動の理由や目的そのものは推測しやすくなっていつつも、過程においてなぜその行動を選択したか、など魅力的な余白を多々残す。過去のソウルシリーズでももちろん物語上重要なキャラクターは存在したが、このレベルで世界やその中の動向そのものに深く関与していた人物はいなかったように感じた。

 

物語全体で解釈が別れるような構造の作品では、解釈の焦点をどこに設定するかでかなり味が変わる。デモンズにおけるオーラント、作品テーマを綺麗に帰結させたダクソ3のゲール爺のように、その焦点を特定の重要人物として設定されたキャラクターが受け持ってくれていると、誰の周辺情報にフォーカスすればいいか把握できるので、何について考えればいいのかわかりやすくなる。

 

マリカはこの最たる例だ。すべての重要キャラと関わりを持つ最重要キャラで、情報が集まれば集まるほど謎が深まる。とはいえ全ての謎を独り占めするようなシナリオ的なあざとさではなく、ちょうどいいくらいのレベルで謎を請け負うよう情報量が調整されている。このバランス感には膝を打った。トレーラー時点で言及されているように、ゲーム開始時点で既に実質的に退場しているのもにくい(『ウォッチメン』のコメディアンを彷彿とさせる)。

 

・ゲーム面

 

>攻略のオープン化とそれに伴うボス戦

攻略順の自由化によってゲームプレイの体験としての”冒険”や"ナラティブ"が発生する点については、最後まで好ましいままであった。

 

反面、その点がネックとなり、戦闘におけるデザインに四苦八苦したような形跡もみられた(俺個人としてはプレイ中はあまり気にならずに遊べたことを前もって述べておく)。

 

ボスやエリア攻略の自由度が高いエルデンリングでは、もしボスが弱すぎる場合、ゲーム内の導きに従っているだけですぐにクリアまで到達してしまうし、気になるロケーションを攻略していく”冒険”はただの探索作業におちいってしまう。だから難易度調整は従来のシリーズよりも困難なものになるはずで、エリアごとに敵の強弱を明確に区別した上で、水準以上の強さを持つボスを出すことが肝心になる。リムグレイブやリエーニエのような序盤エリアでは汎用的な中ボスを各種ミニダンジョンに配置することでちょうどよく調整できていたが、中盤以降はロケーション毎に見合ったレベルのボスを出現出すのが(おそらくは工数等の関係上)困難となったようで、複数ボスやマイナーチェンジした竜と戦う機会が増えていた。

 

複数ボスのうち、取り巻きを召喚してくる類のボスは基本的には問題無かった。戦闘可能エリアが非常に広範囲で地形ダメージの活用や高台からの一方的な遠距離狙撃も可能な宿将オニール、開幕に2体の取り巻きを繰り出してくるが実は取り巻きが残っている間は刺激しなければかなり攻撃が消極的な宿将ニアールは調整されている印象を受けた。

 

一方で、汎用ボスを複数体並べるケースでは、これ遺灰含め完全ソロでやるなら片方を高火力でさっさと片付ける以外に明確なアンサー無くね?な戦いがたしかに存在していた。

 

遺灰が用意されたのは単体の強敵との戦闘ではなく、複数ボスとの戦闘におけるソロプレイ上のフォローを主目的としているように思える(もちろん、単体ボスに苦戦するプレイヤーをサポートする要員としても非常に優秀)。アクションRPGとして、好みに応じて選択可能な手段の範囲が広いのは好ましい。

 

ただ、高難易度の、理不尽なようにすら感じるボスを正面からわからせることで充足を得たい類のプレイヤーが遺灰の使用を避けたとしても、複数ボス戦に関しては調整不足感がある。故に、邂逅時の理不尽感は完全ソロで打倒したとしても緩和されず、またソロ撃破の達成感も薄くなったことだろう(わからせるレベルで内容によって圧倒したとしても、そこに満ち足りるに至るまでの納得感はない)。

 

俺は複数ボス戦は高難易度のアクションゲームではなく、どれだけ遺灰を活用できるかにフォーカスするゲームだと切り替えることで楽しく遊べた。プレイヤー側に用意された手札をいかに活用するかというゲーム性が生まれるので、個人的にはかなり好ましかった。チャンスがあれば無限に復活できるスケルトン、トラップとして活躍する陸ほや、デコイ兼遠距離毒付与のクララなど様々な遺灰が用意されていたし、個人的には設置型砲台として脳筋の攻撃範囲を補ってくれるラティナにはお世話になった。

 

エルデンリングは普通にプレイしてもクリアまで100時間以上を要する圧倒的なボリュームがある。それ故に、汎用存在である複数ボス戦まで入念な調整を望んでしまう(”納得度”の高い攻略を欲する)のは現実的に高望みになってしまうのは了解しておいた方が良く、願望と現実をすり合わせれば問題なく楽しめるだけのあそびの幅がエルデンリングにはあるだろうくらいの感覚(言うまでもないが、これは俺が遺灰を使いクリアに困らなかったし楽しめたからで、遺灰を使っても突破できなくて困っている/突破できたが遺灰は普通に面白くない人には通用しない理屈だ)。

 

>単体ボス

攻撃後の後隙が微小なケースがやや目立つ印象。高火力を保持し、雰囲気で回避しながら殴って試行回数で突破、みたいな攻略によるマンネリを防ぐためかもしれない(たとえば適当ローリングして特大で殴る、もメタられている)。そのぶん、攻撃回数を安定させやすい魔術は相対的に攻略上の価値が上がっているように感じた(ダクソ3攻略における純魔のメタられ具合は今でも記憶に新しい)。俺は1週目はほぼ近接スタイルで攻略したが、この後隙の少なさは戦技の使用を促しているんだろうと捉え、暗月の大剣や光輪のサイスを握るようになった。今思うと、ダクソ3の戦技が全然目立ってなかった裏返しなのかも。

 

 

総合的には超超満足していて、このまま俺的今年ベストゲーになっても不思議ではない。

 

ここからは直接エルデンリングと関係のない余談だが、エルデンリングにわりと繊細なキレかたをしている人の様子をそこそこの頻度で目にしており、ゲームの不親切な点にあそびを見出すスタイルはもはやレリックなのか?と気になった(ライト層は考慮していない)。というのも、ゲームのあそびについては了解しているがそれはそれとしてキレていいと思った点が存在するからキレている、という人が多いにしても「キレていい」規準がかなり緩くなったような印象を受けるというか...俺の観測範囲は特に広がっていないので、何かが変わったような気がする。

 

コアゲーマーの意識が特に以前と変わったわけではなくて、俺が個人的なゲーマー像に勝手に照らし合わせて勝手に気になっているだけの可能性は高い(みんなカジュアルにキレるのが当たり前だから特に問題は無いでしょ的なの)。ただそれでもエルデンリングに限らずカジュアルに過敏なネガティブさを発信する人々に触れる機会は確かに増えてきており、気になるのでここに記しておく。