(映画)オッペンハイマー 感想

ネタバレあります。

 

 

良い映画だった。

 

伝記映画は実在の人物や出来事を扱っている都合から、そのフォーマットは強固に塗り固められている。まずは目標の達成に至るモチベーションを抱くにいたった幼年期~少年期を描き、次に実際に目標に向けて活動しはじめる青年期~壮年期を描く。その過程には苦悩と苦闘が詰められているが、最後に大目標が達成され、観客は主人公と共にカタルシスを得る(悲劇を扱っていないのであれば)。

 

鑑賞前は『オッペンハイマー』もおおむねそのフォーマットにのっとり科学と青春、政治を経て最後に人道を訴える方向へ向かうのだろうと予想していた。

 

彼は偉業を達成したが人類の大きな課題をも産み出した。彼は最期まで平和のための訴えを止めなかった──

こんな感じのメッセージがエンドロール前に流れるやつ

 

だが実際のところは全然そんなことはなく、オッペンハイマーを偉大で有能だが苦悩する人間として描写したうえでぬるい赦しは一切与えない、非常に厳しいトーンの作品であった。

 

冒頭から”プロメテウスは神の炎を盗んだ罪で永遠に責め苦を受けた”という不穏なメッセージが表示されていたのもそうだが、友人・知人の科学者らに原爆を完成させること自体の危険性を警告されながらも開発を止めることはなく、事後に自分の成した結果の重みに直面するようになった。その後のトルーマンとの面会でも、未来に向けた対ソ連の現実的な対策を訴えるはずが政治的な課題認識のすり合わせ(ソ連技術力の脅威)を放棄して私情(世界に火をつけてしまったことへの後悔と罪悪感)を打ち明けてしまう。直前まで原爆の具体的な効果も知らされていなかったトルーマンに対してこの態度をとって軽蔑されるのは当然のことで、「あいつらが恨むのは俺であって、お前ではない」と強く釘を刺すだけにとどめるのは温情ですらある。

 

3つの時系列を行き来する本作だが、ラスト付近を除く最新時系列である公聴会でストローズが告発者側の黒幕だったと判明するシーンは...瞬間的にかなり萎えた。

突然ストローズが私情でオッペンハイマーを貶めたのみにすぎない典型的な小物寄りの悪玉になってしまったので、最後に悪玉をやっつけてオッペンハイマーを持ち上げてHappy End!ルートに行くのかと本気で憂いた(際、公聴会の反対者のひとりとしてケネディの名前が出るなどアメリカ人が喜びそうな演出も用意されている)。

俺は伝記映画であってもエンタメ鑑賞の目線で作品をとらえるようにしているので、史実だからというのは鑑賞態度に影響しない。シンプルにストローズの”小者キャラ化”が作品の味を一気に損ねたと思っていた。

 

さいわい『オッペンハイマー』はとても鮮やかなので、この展開の主な役割は徹底的にオッペンハイマーに対する赦しをあたえない作品構造の柱のひとつを担う点にあることがすぐさま示される。ストローズがオッペンハイマーを「罪悪感を着飾った道化師」「悲劇の英雄を気取るのは許さない」と評したのはただの私怨によるこじつけではなく、的を得ている部分もあることは聴聞会終盤での様子でもわかる(ロブの「原爆に3年も費やしておきながら今更ですか?」、「”我々”ではなく”あなた”でしょう」的な追及等)。

 

オッペンハイマーはストローズとの初対面の時点でみずから自身の経歴を疑わせるような言動をにおわせていたし、聴聞会完了後にキティに指摘されたように、単に愛国心からいかさまの聴聞会に向き合っていただけではなく、他者の断罪を求めてもいた(トルーマンには突き放されたが)のだとほのめかされている。時系列の最後(オッピー表彰)まで自罰的な態度は貫かれていて、だからこそ彼は裏切りものであるテラーとの握手にも応じていた。

 

典型的な悪玉ムーブをはじめたストローズの進退がすぐさま傍流に追いやられる一方、彼がいかにも小者っぽい理由で憤っていた、アインシュタインが不機嫌になったきっかけを真のクライマックスに持ってくる流れは白眉。ここのやりとりが何より良い。アインシュタインがかつて自身がオッペンハイマーから受けた扱いも例に出して君が本当の意味で許されることは無いと断言するのに対し、オッピーはすでに原爆完成後から悩まされ続けている悪夢に気を病んでおり、池の様子に原爆ミサイルの雨を幻視しながらの"I bellieve we did it"は響くものがあった。

 

ここでの"we"はのちに聴聞会で弾劾されていたのとは別のニュアンスで、原爆の開発者だけでなく、手元にある兵器をどんなものでも使ってしまう人類を指すようなスケール感で使用されている。原爆の誕生によりすでに世界の破壊は達成されていて、それは今日の世界情勢にもそのまま突きつけられるものとなっている。ここに至るまでの展開の数々が性善説的な楽観を許さず、そのまま映画は完了していく。

 

個人を題材とした伝記映画でオッペンハイマーを偉人的キャラクターに仕立て上げるのではなく、徹頭徹尾人間臭さを強調したうえでもう手遅れですよとぶちまける手腕は見事だ。このメッセージ性の重さにより、俺は「面白い」というワードを使用するのを敬遠し、「いい映画」としか言えない状態になった。

 

また賛否両論となっている様子の、原爆の効能を直接的に映像・図像として見せず口頭での説明と被害者の姿をみた人間のリアクションや人工的な白い光など、”軽い”表現で済ませている点だが、俺的にはあまり気にならなかった。その様子は映像化された作品の中で鑑賞してしまうのではなく、気になるなら自ら現物を見て世界の破壊がもたらす被害の様子を目の当たりにしてほしいという想いからこのような描写になったのではと解釈したため(レーティングの話とかは置いておこう)。それに『オッペンハイマー』の原爆は人間に致命的な被害をもたらすからではなく、世界(地球)を破壊できる/した からヤバいという点にフォーカスして語られているのもある(原爆投下を検討するシーンで東京大空襲の話も出てくるが、人的被害については残虐性のラインではなく数字が優先して語られている)。

 

映像作品としてのシーン的にもっとも印象深いのはトリニティ実験。ここは劇場で観るか家で観るかで大きく体験の質が変わる気がする。