漫画の感想など (ワンダンス他

 

■ワンダンス

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同作者の「のぼる小寺さん」が書籍と電子両方揃えるくらいには好きだったので(正直作品としての完成度が本当にそこまで高いか?と言われれば首を横に振ってしまうのだけれど、とにかく好みだったからとしか言えない)、つい昨日電子で読んだ。最新コミックスが終わると即座にコミックdaysで課金して最新話まで追いついた。

 

この作品には登場人物の不快な雑念が存在しない。あえていうなら、不快な雑念は早々に取り払われてしまうか、あるいは異なる感情と複合され簡単には言い表せないなにかへと変質してしまうのだ。

 

恐らく来月発売のコミックス5巻に収録されるであろう箇所で言及されている、自分にとってかけがえのない対象への誠実さが俺には本当に本当に本当にマジで核心を突かれており、俺の好きな小説家の作中内の発言を拝借するなら、頭の天窓が開いたおもいをさせられた。

 

自分の好きなものに対して誠実であることがこの作品では貫徹されていて、それにあたらない態度は作中内のバトル寄りガチキャラから「チャラい」「あんなの」と揶揄されることさえある。ただそれに迎合してバトルこそ至高となってしまえば一級マッチョ作品止まりだが、本作ではバトルを通じて得られる、感じられる確かなものに重点が置かれている。

 

正確には得られるものの方に重点を置いている人物もいれば、バトルの勝敗を最重要視している人物もいる。いろんな考え方の人物がいて前者が主人公なのだけれど、その主人公も作中の展開でとある理由から勝つことにも本気になったりなどする。

 

ゴチャゴチャ書いてしまったので話を戻すが、本作で繰り返し描かれているのは自らが好んで取り組んでいるものへ誠実に向き合うことの重要さで、やはりこれこそがコアなのだと強く感じるし、まあブッ刺さってしまった。これまで読んできたスポ根漫画と何が違うんだよ?と言われてもまだうまく説明できないが、最低限自分のなかでことばにできるようにはしておきたい。

 

なぜそこまで刺さったといえば、個人的な体験として、この誠実であるべき対象を見失ってつい最近までずいぶん苦しんでいたからだ。というか今も苦しんではいるし多分みんな現在進行形で苦しむテーマなんじゃないかと思うが、とにかく輪郭を掴み取ることはできた段階にある。

 

かつては3D格ゲーこそが自分にとって誠実でなければならないその対象だった。リアルのステータスとは一切関係してこないにも関わらず、それは掛け替えのない輝かしい闘争の感覚を俺に与えてくれたし、今でもその熱を思い出すことがある。

 

ただ人間は変化し続ける生き物であって、特に対戦ゲームの場合、昨今ではナンバリング等の変更が入ったりとかもするわけで、熱の喪失だってとうぜん発生する。特に2019年以降は魂の放浪がひどかった。たまに昔全身全霊を託すことのできたなにかに一瞬触れることができたような感覚をおぼえても、翌日にはいや、結局俺は真顔のままだ、義務でやっているような気分になっている、と自分の手を眺めたりなどしていた。これに対してだけは誠実でなくてはならないと確信できる対象が無い人生は退屈なものだ。

 

どうでもいい個人話が続くが、こうした興味がうつろう流れ自体を老化現象の一種とされることがある。俺は懐疑的だ。人間は価値観にせよなんにせよ常に変化にさらされつづけていて、その中で変わらない部分もあるというだけのことにすぎない。俺にとって本当の老いとは、この自分にとっては不本意なこともある感性の変化を受けたあと、誠実に向き合うことができる新たな対象、あるいは領域の捜索を放棄することだと考えている。不本意と仲良くするというのは不本意に満足することではないし、不本意で妥協することはまったく違う。

 

 

ごちゃごちゃと自分語りが続いてしまったけれど、まあそういう文脈でこの漫画がかなり好きです。

 

個人的にお気に入りの場面は恩ちゃん部長とのバトルをうながされてすぐさま立ち上がるカボ

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このいつも窮屈そうに身体をちぢめている巨漢がフルパワーを発揮せんと立ち上がる瞬間と立ち上がったあとのでけえ背中、何気ないコマなのにめちゃくちゃカッコ良い。

 

■呪術廻戦

なんといっても0巻がぶち抜けて良い。

一見人畜無害な乙骨の人間性がむき出しになる夏油による襲撃からの展開は圧巻で、

あの一連の流れに未曾有の火薬が詰め込まれているといっても過言にはあたらない。

 

友人を傷つけられた乙骨は比類なき殺意を発しながら絶対的な力を示す。肝心なのは、この圧倒的強者が戦闘で避けられない相手の殺害を憂うのではなく、自身の方針を貫き通すために必要な行程とみなしていることだ。『HELLSING』でアーカードが人間をやめようとするアンデルセンに向かって「人間のままのお前にだったら負けてもいいと思っていたのに」みたいなことを語りかけていた。作中の切ない場面なのだが、もしかすると俺はアーカード以上にかなしんでいたかもしれない。絶対的な強者が相対する存在に級位を合わせようとしてしまうのは悲劇だ。力は存分にふるっていただきたいものだ(ただの俺の思想)。

 

その点で言うと乙骨はすばらしい。幼少期の他者への強烈な想いがその根底にあって、やると決めたことに躊躇が無い。戦いを楽しむ気持ちすらなくて、ただ自分の好きな人を害した存在は殺さなければならないという想いだけがある。

 

フィクション作品の強キャラってある種の制限をかけられることが多い。他人を守ることを優先するようになって以前より弱体化した扱いをされたりとか、地力が高すぎてメンタルをもとに強さをコントロールされたりしてしまう。

 

0巻乙骨は落ち込むどころかマジギレに達した。

五条も回想では護衛対象を殺害された直後でも戦いの心地よさをたのしんでいた(まあその後結局メンタル攻撃で追い込まれてしまうのだが)。

 

そういうところを書いてくれる点と、パ・・・描写を「虎杖はそういう人物だから」で修正せずに通してくれるようなところが気に入っているので、いちおう本編も電子ジャンプで展開を追っている...が、正直なところまだ0巻で感じられたほどの昂ぶりにはまだ至れていない。

 

チェンソーマン

好きなポイントは複数あるが、本当にデンジが良すぎたからこそ完結まで読んでいた。

 

一番のお気に入りは夢バトル。

 

 

物騒な存在が本当に物騒になれるのは明確な目的意識を持っているときに限定される、と考えている。

 

そのへんの建造物とか通行人に攻撃したり刃物をペロペロしたりしてるだけのキャラがこいつは狂暴なので狂暴キャラです的描写があんまり好きでは無くて、目標や目的に対する純粋さ、愚直さの結果としてうまれる物騒さが好みだ。

 

この場面の直後、結局ボコボコにされてもなおこういう態度なのが好き for マジ

 

 

粗暴さの陰に繊細さが隠れているのも含め、デンジは人生のオキニ男キャラbest5にはいる。

 

■アクタージュ

例の事件以来まるでもともとどこにも存在していなかったのような空気になったのが悲しいのであらためて書いておきたい。いや多分俺が勝手にそう思い込んでいるだけなのだが.

 

作品についての感想だけを記すならば、常に道を切り開いて見せた、その鮮やかさがとにかく白眉だった。絵の絢爛さと見事な作劇のマリアージュ。そりゃファンの俺から見ても1巻でエキストラとして作品の空気をぶっ壊すくだりや同級生友達つくり編とかあんまし面白くないところもちょいちょい見受けられはしたが、常に閉塞感を打ち破って天井から新鮮な空気を流れ込ませてくる感覚をこれほど味わえたことは無い。なんせ俺はこの漫画目当てでジャンプ電子購読を開始した。あの事件は非常にいちファンとして無念ではあるけれど、まあそのおかげもあってコミックス未収録エピソードも読める状態にあるのが幸いだ。

 

未完の名作というものが世の中にはある。その代表例は俺にとっては「死ぬことと見つけたり」が先頭を走っていたけれど、今後はアクタージュがこれに並ぶことになるだろう。

 

将来規制は解除されるのだろうか。この漫画を読めないのはもったいない。

特に桃城千世子。このブログで彼女について1記事書こうとしていた矢先だった...。

 

衛府の七忍
山口貴由の集大成だ!と周囲でうわさされており、覚悟のススメシグルイしか読んでいなかった自分でもかなりワクワクしながら読ませていただいていた。

 

ブロッケンの章だけはイマイチだったが、まあとにかく毎回性別・人種を問わない"益荒男"が登場して暴れまわり意を通そうと命をかける様子にはものすごい情念があって、丹田が熱くなるような錯覚をおぼえたものだ。

 

物語の顛末はあまりにも素っ気ないもので、力が抜けそうになってしまった。戦い抜いてこそのまつろわぬ鬼ではなかったのか。この放り出された結末によって鬼たちが幸せになった点は確かではあるけれど、これまでの激突と激情までもがそっけなくいなされたようにも感じてしまった。

 

オムニバスのようにも読めるストーリーだったのが救いだが、完璧な結末どころか行程すら抹消されてしまったアクタージュと、残酷なまでにあたたかくて冷たい放り出され方をした衛府の七忍と、どちらが作品としてしあわせだったのかを自分のなかで整理するにはもう少し時間が必要そうだ。

 

トーマの心臓

石川博品耳刈ネルリ」で一部引用されている要素があったことから、萩尾望都作品は「11人いる!」だけ読んでいた。フロルとの交流要素が目立ちつつもまあまあ面白いかなあくらいで、「続・11人いる!」は途中で投げ出したくなるほどグダグダだったのでしばらくこの作者のはいいやなどと思っていたのだけれど、こちらは予想を超えてはるかにたのしめた。

 

時々、作品を読みながらページ数を見て、今全体の中で進行度はどれくらいなのか確認してしまう悪癖がある。本作では冒頭から爆弾が落とされるので、正直なところこの筋書きでどうやってこのボリュームをさばくつもりなのだ、また「11人いる!」みたいにつまらないおまけがくっついているのだろうかなどと邪念がよぎったけれど、読み終えてみると確かな清々しさがのこるいい体験ができた。「ポーの一族」もそのうち読む。