結構おもろかった。
奇妙でユーモアのある映像や画作りに満足。
TV版を一気見した状態で鑑賞。タローマンの持ち味は岡本太郎の格言すらいいように巻き込んで展開されていく不条理なシュールギャグで、このような作風を105分という
製作陣は本作を105分間の全力不条理疾走ではなく、デタラメの濃度を調整することで王道エンタメに仕立てあげている。早々にタローマンが事故によりデタラメを司るコアを喪失して事実上離脱しているのはそのためだろう。タローマンは動き続けるだけでDTM(でたらめ値)を跳ね上げる存在なので、物語に調和をもたらすには彼を去勢するしかない。
代わりにデタラメ成分を担うこととなったのはエランとCBGの面々。特にフィーチャーされていたのはエランだった。秩序をアイデンティティとして力いっぱい生きてきた彼が徐々に人格を侵食されていき、混沌と秩序のはざまで苦悩し、この2つが拮抗するなかで従順な奴隷に仕立てあげられた機械人間の”人間性”が育まれていく...そんな筋書きになっているのだが、エランの既存の常識へのこだわりを個性が確立されたキャラクターのふるまいとして面白く見ていたこともあり、趣深い凸凹を均すような展開はむしろ反・岡本太郎的では?と鑑賞中気になった(最終的に、秩序サイドで突き抜けたのは黒幕ただ一人となり、突き抜けた秩序への傾倒もまた狂気であるという見せ方になった)。
不条理成分の調整も含めて非常にお行儀のいい作品となり、ストーリーの大筋は凡庸なものとなったが(大昔の人間が近代の合理性に古き良き”人間的な”慣習を推奨して影響を与えるのもそうだ)、ただその過程で昭和のお調子者コンビが黒幕の陰謀に関係なく犯罪を犯して投獄されそのまま脱獄を敢行されるようなラディカルなシーンが多く、総じて純粋に観ていてたのしい作品であった。
もう一個だけ不満を挙げると(好き寄りなのに文句多くてすまん)、最後にタローマン顔が偏在する世界になったのが一番不満。人々=観客にタローマンの存在が植え付けられた意味合いもあるのかもしれないが、自己のコピーで他者を上書きするオチはタローマンらしからぬ印象を受けた。偶然コピー作っちゃったけど岡本太郎的にはそういうのナシなんで蹴とばします!の二段オチをやってくれるかなと思っていたらそのまま去っていってしょんぼり。キッズ配慮でシナリオ変わった?(オタク特有の妄想) その後に恐竜滅亡の原因である可能性や、人類への”進化”のきっかけである可能性を匂わせるかのようなシーンがめっちゃフリーダムだったので許した。
完全でたらめ狂気90分の方向性にしよう!かとも、めちゃくちゃ悩んだんですが、架空の存在と思われていたタローマン好きキッズが実在すると分かった以上、置いてけぼりにはできないなと思ったのです。(もちろん観やすくはないですが…)
— 藤井亮 @8.22劇場版タローマン公開です (@ryofujii2000) 2025年8月26日
『大長編』をつけたのも、それを忘れないように。 https://t.co/0hXWDbH6qb
劇場版タローマンは不条理なショート映像シリーズから完成度の高い王道エンタメへと転身を遂げた。損なわれた刃のするどさに後ろ髪を引かれるが、それでもなおタローマンがタローマンたるエッセンスは失われてはいないと感じられた。特定の形式に適したアレンジというものは色々なところで行われているものだ。
書くのがめんどくなった残骸↓
・タローマンがデタラメさを支配していたTV版と比較すると、人間が生来所持しているデタラメさにフォーカスされていたのは良かった
・エランが非人間的な動きで攻撃を回避しまくりつつ自己紹介する登場シーンすき 突然キャラ付けが強くなった風来坊も最高
・ノン、最後に何かデカいことをやる役なんだろうなと思っていたら萌えマスコット寄りで終わった 水差し男爵が便利すぎたかもしれん
・太陽の塔大好き人間としては開示された設定や存在感に対して出番が貧弱すぎるだろ!と寂しくなった
・先鋭/鮮鋭さが評価されるのが芸術だが、キッズを対象としたエンタメとしてはハイコンテクストすぎず俗っぽさにあえてよりかかる大胆さも重要なのだろうなあ
・冒頭の奇獣のなかに人を喰ってるやつがいたけど、それを喰ったタローマンって...