リアルランダム生成NPC / 100%モンティ・ホール問題 / Dogdaysを過ごした

リアルランダム生成NPC

新しいサンダルを買いてえとツイートしたらうさおさんが俺も行くわと反応してきたので、マアABCマートさくっと行って終わるからゲーセンルートかな~と考えていたらなんとあっしゅさんが車を出してくれるとのこと。持つべきものは友人とはよくいったもので、まさしく善き友人以上の財産を俺は持っていない(そして彼らの善性に全力でただ乗りする俺は悪友枠にあたるのだろう)。そんなこんなで休日に埼玉のアウトレットをまわった。サンダルは結局ABCマートで購入したのだが、3名のゲーマーでぶらぶらとアウトレットを泳いでいた最中、別の機会で行こうと思っていたチャイハネと邂逅する機会を得た。諸手をあげて突入した。

 

www.cayhane.jp

 

これまでの人生でサルエルパンツというものを履いたことがなく、夏の快適そうさがすごかったので興味を持っていたところ、たにいパイセンにオススメされたのがこのチャイハネ。新宿の店舗に寄ろうと考えていたが、おかげで一石二鳥となった。予定していた黒のサルエルパンツの他に、藍色のTシャツと黒のノマデスを購入。

 

直感に身を任せた結果、この日買った一式にサンダルを合わせるだけでハイパーにわかエスニックファッションが装着できるようになった。いい歳をした素人が未経験のファッションゾーンに足を踏み入れる。マア真に気に入ったものであるからいいだろう。山口貴由も自分の感動したもの(≒己の琴線に触れたもの)を信じろと言っていた。

 

社会人になるまで俺は髪型も眉毛も服装もその時の気分や時期によって変える挙棋不定ぶり、顔を合わせた回数が少ない人には「声を聞くまでだれかわからなかった」と言われたことも多く、今もキノコヘアーになるまで髪を放置する→夏にバッサリ短くするなどのズボラ具合で、たまに顔を合わせる同輩には「ランダム生成NPCみたい」と言われたこともある。相手に相貌認識的な負担を与えるのは俺としても不本意なので、馴染みの人間と会うときはできる限り外見を統一するように心がけていた。

 

...のだが、チャイハネでそろえたエスニックファッションが久々に俺の心をとらえたため、翌日のヨグルティさんちのクイズテスト企画に発作的に着て行ってしまった。せめてランダム生成NPCよりはプリセット体制をとろうと思っていたのだが(ひふみさんは俺の服装には触れなかった)。まあでも公序良俗に反してなければいいんじゃね?もっとぐちゃぐちゃしていけ。

 

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100%モンティ・ホール問題

 

埼玉のアウトレットを巡った翌日、ヨグルティさん邸へ向かった。

カードゲーマーが集う合宿でクイズ企画をやるのだがテスターが足りないという。

クイズのTierは謙遜抜きでアイアンクラスだけど大丈夫ですか?と確認し参戦。ボードクイズや早押しクイズなど、オーソドックスながらも絶妙な難易度調整が施されており(0文字クイズが出題されたときは固まってしまったが)、クイズが苦手な俺でも高い満足度を得られる良イベントだった。

 

イベントの途中、回答の綴りを少し変えるだけで正答になるという場面で司会役のヨグルティさんから「そのままで問題ないですか?」「変更はしなくて大丈夫ですか?」とコメントが入る。さらに補足として、クイズで司会がこう言う時は、微妙な間違いが含まれているので回答内容を見直して修正した方がいい合図とのこと。

 

回答を変えた場合の正答率100%。思わず「100%モンティ・ホール問題じゃん」という脊髄発言が口から出てしまった(そういうのもあるのか!と得心したニュアンス)。

 

思えば絶対に変えた方がいい100%モンティ・ホール問題的な言い回しって人同士の通常のコミュニケーションのなかでも発生しているよなあ...。

 

厄介なのはそれが仕事で発生する場合で、社外の相手の面子を損ねるような言及は避けなければならないので、いわゆる”大人の表現”的なコードが使用される。丁寧な言い回しで形成されるこのコードをよくよく読み解いてみると「いやそれヤバいんで違うプランのがいいですよ、こっちとかどうです?」的なメッセージであったりする。だが問題があって、お相手が社会人として洗練されていればいるほど、かえってそのコード、あるいは合図に気付けないときがある。なんという矛盾!100%モンティ・ホール難問!

 

...というようなことを帰路でぼんやりと考えていた。移動中に生じる、サンダルの靴ずれによる激痛から意識をそらすために。

 

ここまで書いてアレなんだけど、おそらく俺は多くのコミュニティにおいてこの身内の100%モンティ・ホール的なコードを見逃してきたであろう確信がある。なぜなら、俺は回答者側だけではなく出題者側の気持ちもたくさん味わってきて、そのなかで失望を感じたことも1度や2度ではないからだ。”誤答”に誘導する───己の利益を最優先し、自身の過ちを誤魔化したいだけのモンティ・ホールを目のあたりにしたときの萎え具合は半端ではない。稚拙な言い分で俺をうまくだませると踏んだ相手だけではなく、見くびられた自分の器にも憤りはある。

 

いやなんか無駄に話が伸びた。

善きモンティ・ホールの100%問題を嗅ぎ分けられるよう邁進していく。

 

 

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Dogdaysを過ごした

 

昨年ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー3を観るまで、Dogdaysなる英単語の意味を知らなかった。てっきりワンコがワンダフルな意味かと思っていたがそうではなかったらしい。これは非常に残念な学びだったので、俺の中でDogdaysという言葉は、実家の柴犬と遊びたおす期間を指すものとして扱われるようになった。

 

 

今年のお盆もDogdaysを過ごすため実家行きを予定し、その途中でぶろこりさんのカフェに寄った。ぶろこりさんのコミュ力が高すぎるため適当に凸っておいしい珈琲をいただきながらだらだらしゃべっているだけで数時間が溶けた。

 

ぶろこりさんの盛岡話、ぶろこりさん母との会話、ぶろこりさんとさわづま父の会話などいろいろ発生したが、最も印象深かったのはMCUに関するくだり。ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーいいよね話、2作目以降のアントマンはちょっと...的な話、エンドゲームでのキャプテンアメリカの決断など、雑多に話した。

 

ぶろこりさんに言及されるまで、ファー・フロム・ホームで発生したフェイクによって善なる正義をハックしてしまう悪の登場に対してノーウェイ・ホームではアンサーが出なかったことには思い至らなかった。ピーターの”人間の善性をとことん信じ抜く”ヒューマニズムがそのアンサーである、と好意的に解釈することもできるが...。いずれにせよ、ピーターはグリーン・ゴブリンに対して本気の殺意を抱いて止められる未熟さを見せてしまうわけだが。トム・ホランドスパイダーマンは全般的に若さゆえの純粋さと危うい未熟さの双方が特徴となっているので、今後の課題として片づけることもできてしまう。インフィニティ・ウォーでサノスが言ってた資源問題の話がエンド・ゲームでどこかへ行ってしまった前例もあり、確かにそうですねと同調する運びとなった。いくつかの欠点はあるが、それでもノーウェイ・ホームが俺にとって最高級のスパイディ映画であることは変わらない。

 

っていうかノーウェイ・ホームとガーディアンズ・オブ・ギャラクシー3で大満足したし、ジェームズ・ガンももうMARVELにはいない。俺の中ではMCUの消化が99%終わってしまった。あとはスパイダーマン次第だ。

 

ぶろこりさんカフェを出た後は実家へ直行し、そのまま犬や猫と遊び倒した。猫のほうが実家では先輩なので、Cat&Dog daysが本当にふさわしい呼び名かもしれない。