TOA以来のテイルズ。
ベルベットの外見に惹かれて購入。
まあまあ面白かった。以下クリア前提の内容になります。
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俺の年代(90年代前半生まれ)で漫画やアニメやラノベに触れてくる中で一時期幅を利かせていた用語があった。”セカイ系”と称されるそれは定義が曖昧なまま色んなオタクが使いまくるもんだから感想記事だのなんだのにその用語が出てくるたび「この人はどういう定義でこの用語を使っているのだろう」と推理に迫られるうんざりするような状況があったと記憶している。
が、自分のメモリーにとどめておいてもろくなことは無いと理解を放棄してから10年以上が経過したにも関わらずいまだに脳裏をかすめてきて苦しんでいたので、思い立って禍根を断つことにした。
具体的には『セカイ系とは何か』を読んだ。
『セカイ系』という用語が定義も曖昧なまま使われていたというのは認識通りだったが、その源流や使われ方の変遷などの流れに発展し、オタク史として楽しく読めた。ナデシコのアキトに関する記述では「いや、でもそこは劇場版でこういう流れに~」みたいなことを考えてしまったがコアとは無関係なので省略されたとするのが妥当な気がする。
ひとまずこれでスッキリした。何事であれ、認識をアップデートできた時が一番スッキリすることを改めて確信したので、最近気になった以下の3項目についてアップデートをかけていくことを優先していきたい。
■百合
正直個人的には苦手なジャンルなのだが、オタク同士が美少女同士だろうとそうでなかろうと(!?)「これは百合」「これは百合ではない」「ここには百合がある」みたいな会話をしている時全くついていけないことに問題意識をおぼえはじめている。別に百合好きになって楽しめる作品を広げたいというわけではなく、ただ周辺に広がっている世界の解像度を上げておきたいというのが率直な目的になる。愛が暴走するコメディとして楽しく読んでいた『ふたりモノローグ』において終盤でのシリアスな百合展開に温度差を覚えたこともあったし、以前目撃した過激派よりと思わしき愛好者が、男性主人公が複数の美少女と積極的に交流するのが前提となっている作品において男性主人公は美少女の魅力を引き出すための舞台装置的な役割しか期待しておらず、その一方で男性主人公が美少女に対し特に何の影響もおよさないまま美少女側が試練を乗り越える場面が来ると大喜びするのを目撃したことがきっかけとして大きい。特に2つめは個人的に飛びぬけて衝撃的な体験だった。自らの嗜好に対して自覚的に狂っているのではなく、狂わされているような印象を受けたからだ。個人(適合者)を狂わせるほどのパワーが百合にあることの証左だろう。
そういう流れでこういう記事を読みながら何本か実際の作品に手を出してみたのだがいまだに掴み切れていない状況にある。
俺はこの文化に触れていないに等しいため、人は解釈したいように解釈するし、その解釈の対象として『関係性』は肥沃の地として絶大的な力を持っていて・・・そこで見る人によって見出されるものがブロマンスであったりBLであったりに変わるのかなあくらいの感覚になってしまった
— さわづま (@sawazuma) 2020年10月1日
正直具体的に何に手を出し何を学べばいいのかもわからなくなってきたが、『セカイ系とは何か』でもラベルそのものではなくラベルをめぐる変化自体を洗い出していたのを参考に、流れを勉強する方向にシフトしてみることにする。おすすめのテキストとか解説動画みたいなのもあったら教えていただけると幸いです(有料・無料問わず)。
■人狼
雪山人狼やらamong usやらを格ゲーマーまで配信しはじめている。自分は昔オリジナル人狼に無勉手を出して当然ながら何もわからんまま終了し敬遠していた。
人狼に何度か手を出したがセオリー勉強してなさすぎて毎回<狂人>扱いで釣られてまあいいかってなったの思い出した
— さわづま (@sawazuma) 2020年10月26日
いわばカジュアルな人狼が流行しはじめている現状、触らずを継続するのはもったいないかもしれんと感じ始めた(among usはとりあえず購入)。
オリジナルの『人狼』に手を出さないスタンスは変わらないが、こうしたジャンル自体は楽しめるようになりたい。twitterでメモだけはしていたようなのだがすっかり忘却していたので改めて記しておく。
今でもたまに楽しんではいるが、自分の中で一区切りをつけてしまっている状況にある。関係性とか膨大すぎる文脈みたいなのにもついていけていないので、個として綺麗に完結している存在を求めるのならばVに限定する必要は無いなと考えていた。のだが、
上記ひふみさん記事内"Vtuberに真剣にハマって2週間経った"を読んで少し認識を改め、Vという形態でしか出てこない、目にできない存在というのは確かにあるのだろうなあと思いなおした。俺が今流行しているVにいまいちハマれていない理由とかも大体この記事に当てはまっている気がするけれど、逆に言えばその例外を探ってみれば何かに巡り合える、かもしれない。少しだけ期間を設けてみることとする。
そもそも今シャニマスにハマッているのもリリース当初の認識をアップデートしたからだし、もっと頭の天窓をあけていきたい所存。
(映画)
■面白かったの
・マッドマックス 怒りのデスロード
物騒な存在が好きだ。高尚さが欠片もなくてもいいし、温和な人物が外聞を捨てて修羅の顔で返り血に塗れるような話も好きだ。
そんな性格なので命のやりとりを死ぬほど本気でやる映画というだけで好感度が爆上がりは必然だった。戦いに個人目標以上の大義が無いこともいい。フュリオサは故郷への帰還、イモータン・ジョーは一族覇権の継承、その部下は出世とヴァルハラ生き、妻達は自由への逃亡...。善も悪も無く、ただひたすら自分の欲望を満たそうとしている(カットシーンを確認するに、制作側がイモータン・ジョーが露骨な悪役にならないよう配慮してシーンを厳選しているように思われる)。
フュリオサが致命傷を受けた時もブチギレながら持ちこたえて、連れ去られた仲間を見つめて怒りから闘志を燃やして以降が一番イケてた。あの絶叫しながら頭突きするシーン良すぎてずっと再生してた。
映画館で鑑賞。面白かった。
内容的にはテレビ版で決着がつかなかった兵士としての少年たちのその後を扱ったもの...というか兵士をやめたいヒイロと兵士に寄り添いたい五飛の物語に決着をつけるための内容だと認識している。バートン財団の蜂起自体はその踏み台に過ぎない。
ガンダムやトールギスⅢら超高性能機体+超優秀パイロットでなんとか負け戦として成立するレベルの血を流さない戦闘による抑止、美しい光景ではあるが将来的な平和の維持、やっぱりいくらなんでも難しくない?人類は過ちを繰り返す生き物だよ?などと考えていたら実際にそれが達成されたことを示す最後のナレーションがあって笑った。ここまで来るといっそ潔いが、ヒイロが殺す存在たる兵士を降りて誰も殺さずに済むようになり、弱い者は戦うなと激高していた五飛が弱いものたちが立ち上がる姿を見て結論を出せたことがコアなので野暮は言わぬが華だろう。。
あと本筋にそこまで絡んでいない存在としてトロワとゼクスの立ち回りがかなり愉快だった。制作サイドは間違いなく故意犯。トロワは怪しいやつらがお客として来たら即座にマッチョ姿を披露しながらぶん殴って潜入して即バレするし、ゼクスは一仕事終えた後になんかコックピットで足組んでちっちゃいお洒落本を読んでいる。
(本)
■面白かったの
・思考と行動における言語
本書が紹介されている「アイデアのつくり方」を読み返している時に6月に読んだ言語に関する本が血肉になるほどは良くなかったなと思いだしたのでもう少し根本から学ぼうと思い購入。
体系だてたわかりやすい説明、複雑化しすぎない簡潔な固有名詞、最後に知識マウントとるやつはこの本読んでないのと同じだからなと釘刺すスタイル全てが完璧。
(なんかリンクがうまくいかんのでタイトルをハイパーリンクにした)
物理・電子・社会的問わず『環境やモードが人々に与える影響力』についてもっと知りたい思いが強まってきた。人間は何かの枠組みを利用しているのではなく枠組み内の傾向に無意識に従う性質があるのではないか?とかそういうのが。。
— さわづま (@sawazuma) 2020年9月22日
最近読んだ『寝ながら学べる構造主義』がその側面から構造主義の各思想を紹介していて良かったです pic.twitter.com/epjAZ490tj
— LW (@lw_ru) 2020年9月23日
ふとしたツイートをTL知識人の方に反応いただいたのをきっかけに購入。内容的には構造主義について各時代での思想の変遷紹介をはさみながら解説されているため、勉強不足勢の俺にもわかりやすい内容で非常に良かった。自分はどうしても勉強内容が断続的というかブツ切りになりがちなのだけれど、あらためて時系列を追うことの重要性が身に染みた。
・モリッシー自伝
言わずもがなだがザ・スミスのモリッシーが出した自伝。長らく日本語版が出ていなかったがとうとう出版に至ったということで購入(関係ないが経緯が面白かった)。
自分はザ・スミスとしてのモリッシーを求めて読んだが、本当に個人としての自伝に集中しており、それもまた一部に過ぎない。彼の陰鬱な思い出の数々が生々しくぶちまけられる内容となっていてハードだがファンなら読み応えはあると思われる。
"Killer7"でザ・スミスを知って聴き始めたレベルの俺でもかなり面白かったので、ザ・スミスの歴史だけを知っているだけの人でも楽しめるかもしれない。どうでもいいけどシャニマスの天塵でもザ・スミスの曲名が章題として引用されていて、世界、リンクしてんな...と半ば放心した。
■合わなかったの
・一兆ドルコーチ
ビジネス書。去年読んだ中で一番面白かったHARD THINGSに出ていたビル・キャンベルについて書かれた本ということでかなり期待していたのだが、マジでつまらん本だった。リンクも省略。
序盤で本筋とは直接的に関係しない文脈で登場した「ハギオグラフィーを書くつもりはない」という1フレーズ、これだけは価値があると感じたし、個人的にはこれを「ハギオグラフィーは必要ない」という言葉に置き換え、座右の銘にしようと決めたくらいに気に入った。
しかしながら肝心の内容は結局ベッタベタのハギオグラフィーと化していた。次々に登場する社会的成功者の実績をぐだぐだとクレジットしながらエピソードを進行させるためテンポも悪く、醜い俗悪本へと成り果ててしまっている。クソすぎて途中で端末から消した。
もうこの手のは選ばなくていいことにしようと思えたことだけはよかった。
ハギオグラフィーを読むつもりはない。
・なぜ世界は存在しないのか
意味の場だとか話の広げ方自体は面白かったのだが、取り立てて主張内容が斬新とも思えず1年以上積んでいた本。とりあえず読み切ってはみたが最終的に主体性と多様性を持ちあげる平坦な着地。正直ベストセラーになるほどの内容だとは思えない。刊行当時にこういう思想を求める潮流が来ていたのだろうか。
・猫のゆりかご
同作者エッセイ『国の無い男』が楽しめただけに期待していたのだが、割と薄味のブラックジョークが最後まで続く物語で、ボコノン教と最終盤のあの展開以外は特に感じるものもなかった。作品がどうというよりは、今の俺の嗜好として獰猛な殴打を求めていることがデカい気がする。