チ。 感想

作者の魚豊は、過去作において力量で劣る者が強い精神を以て敵対者を打倒し、勝利する物語を書いてきた。それが顕著に出た『ひゃくえむ』終盤では、才能差だけではなく身体のコンディションまでも致命的に傷ついた状態から強い精神によって奮起し、一切のフィジカル的課題を忘れ去ったかのように飛び越えていく様子が描かれていた(ここまで来るとちょっと無茶)。

 

『チ。』でもその流れ──劣る者が強い精神を以て勝利する物語──は継承されている。

魚豊は過去作同様、主人公の力強い決断、苦境の中での抵抗を描いており、迫力のあるシーンを作り出す能力は今作においても発揮されている。

 

しかしながら、前述した”強い精神が勝利する物語”というエッセンスを弱めてしまう表現が本作には存在している。致命的な表現規制が。

 

それは「C教」という伏せ字だ。

 

『チ。』では真理を追い、世界に広めるためならどのような犠牲を払ってでも、自分の死後でも構わないとする”正義”や”真善美”があざとすぎるレベルで描写されている。俺はこのあざとさを好むタイプではないが、商業作品としてはまあ正解なんだろうなくらいの温度感でいた。

 

しかし、この”美しい”テーマに「C教」という伏せ字は全く噛み合っていない。

それどころか、魚豊の持ち味であったはずの”強い精神が勝利する物語”を今作において担保するはずの”知性”を損ねている。これではある種の配慮や事情を持ち出して「この作品では実在の著名人の名前とか出しまくってるけどフィクションだから怒らないでくださいね」と一部の勢力に向けて申し開きをしているようなものだ。

 

人の顔色を伺って萎縮するスタンス自体が魚豊の作風を内側から否定し、作品の大事な柱である知性や強い精神にヒビを入れてしまっている。色々思うところのある作品ではあるが、何を置いてもこの点が最も致命的なように思われるのでここだけ触れておく(問題点全般の指摘については、素晴らしくまとまった感想を書かれているnote記事が既にあるので)。

 

 

余談だが俺がこの漫画をとりわけ厳しい目で見てしまったのは、同様のテーマを扱い、”真理”を広め秩序を乱すことに本当に正当性はあるのか、また真理を追う者が崇高な存在としては扱われず、純粋な好奇心しかなくその過程の他者の犠牲を厭わない存在の場合は、などを描いたSF小説、「ピーター・アーツvsガリレオ・ガリレイ」こと『猫の地球儀』を愛読しているのが大きいことも明言しておく。

 

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