冬来たる

■楽しめる作品/楽しめない作品を判定するセンサーみたいなのがほしい

長いこと自分に合うコンテンツ・合わないコンテンツを効率よく切り分けられるようになりたいなと思っている。世間には終盤から突然残念になる作品(オカルティックナイン)、序盤はいまいちだけど途中から化ける作品(エアマスター、はねバドetc)があるので一概には言えないのだが、「この作品どうなんだろうなあ」と思いながら体験して、体験し終えたあと1週間くらいで記憶から消え去るみたいなのが虚無いのでなんとかしたい。

 

んで作品に触れている時の自分の感覚に注目しつつ何本か映画を観たりしてみたんだけど、やっぱり自分に合う・合わないみたいな兆候って思考より先に肉体の反応に出る気がする。面白い作品を体験している時は身体がぞわってしたりヒンヤリしたり顔つきがかわったり姿勢を整えたりする。肉体が期待を表現してくれる。だが逆に合わない作品を体験している時は不気味な程肉体が静かだ。静かすぎて頭が重く感じたり、視線がさ迷ったりする。

 

ただ結局これらは極端な例で、実際は『そこそこ面白いけどハマるというレベルではなかった』みたいな結果になることが多い。わりかし判定が難しくて、本当に対処するべきはこっちな気がする。ハルハラハル子に倣ってまずいラーメン食ったりするのも面白いじゃん理論で来たが、本当に何も残らない体験が世の中にはある。どのような作品に対しても常に一定の期待値を保てるようになりたいところではあるが...

 

リズと青い鳥の感想

観ました。本編の原作およびアニメは未通過。

 

普段あまり接近しないタイプの作品だったので結構おもしろかった、が、この面白がり方はどうなんだ?という感覚があるのでここに記しておく。また、観ている最中は引き込まれたけど、終わった瞬間に意識が一歩引き、「確かに面白かったけれど、俺の中には特に何も残らないかもしれん」という感覚にもなった。名状しがたい。

 

希美とみぞれ、ふたりの関係性の変化を見届けることにフォーカスした潔い作品で、自立するのは偉い!的なヒューマンドラマっぽいテーマは組み込まれていない(と感じた)。観ている最中は引き込まれるが、観終わった後に意識がふたりの世界に惹き込まれているかどうかで作品の印象は変わってきそうだなと。

 

個人的にみぞれだけ無垢すぎるというかイコン的すぎた。後輩にド塩対応しても後輩が普通にいい子だったからそこが欠点じゃなくて後の成長の布石みたいになっているのもモヤるポイント。素直に書くと俺が興味を持つキャラクターではなかったので希美のほうに注目して鑑賞していた。人気者だけどどこか一定の距離を保っていて、薄暗いプライドが見え隠れして、道を見出したみぞれが羽ばたいて、と色々盛り込まれ、あの最後の告白シーン。

 

あのみぞれが希美の好きなとこを怒涛の勢いで連打してくるシーン。みぞれは必死な思いで想いを絞り出しているとわかっていても俺は気持ち悪いなと思ってしまった。なんというか、人間はすべてをコントロールできない不完全な生き物なので仕方ないのだが、感情の爆発のさせ方が泣き落としみたいになっている点に拒否感をおぼえたし、ふたりの物語を勝手に覗き見ている立場でそんな風に感じたことに謎の罪悪感も生じた。

 

んで希美の方は若干引き気味に見えた(顔を赤らめるとかなくて助かった)。でもふたりの不和の原因であるのぞみの音楽スキルを肯定して、またちょうどいい距離感に戻る・・・。この流れの緊張感と着地の匙加減はかなり良かった。本当に希美がみぞれに対するネガティブ感情を全て捨て去ったのかどうかがわからないのもいい。

 

とはいえその決着までが俺の興味で、お互いに気持ちに決着をつけることに成功して、みぞれが希美に対して追従的な依存ではなくて並んで歩いていけるようになった時点で俺には本当に他人事になってしまっていて、みぞれ良かったね、希美はとりあえず割り切ったっぽくて良かったね~くらいの感覚になってしまった。俺はふたりの序盤から描かれるのびのびとしているけどどこが緊迫した空気を(勝手に感じ取って)楽しんでいただけの恐れがある。鑑賞者としての態度は最低なので熱心なファンの方に怒られても仕方ない。

 

だけど、あの甘酸っぱいような台詞を猛連打してくる人物に対して穏やかならぬ心を忍ばせている現実的な目線を持った人物が暖かくも冷えた態度を貫徹させて華麗に迎撃する流れは本当に鮮やかで好きです。

 

■高難易度一人用ゲームに対する意識の変化

最近Cupheadやホロウナイトを遊んだが、ゲームが難しくなってくる終盤になってから急に面倒くささが上回って消してしまった。べつにつまらないと思っていたわけではないのに。

 

今でも最高のアクションゲーはGOD HANDだとおもっているし、去年はSEKIROやDMC5を嬉々としてやりこんでいたし、今年の前半はJump Kingの表面を嬉々としながら飛んでいたので心境の変化に戸惑った。

 

後付けで色々考えることはできる。社会人が何度も生き死にを繰り返して、クリアしたらまた次のポイントで生き死にを繰り返すだけ。みたいなことを意識してしまうと限られた手持ちの時間を浪費しているような気持ちになってきてしまう、とか、ストーリー性が強い作品だったら先が気になるがアクションゲーはそこまで凝ってないことが多いので先に進みたい欲求よりも手放す方に向かってしまう、とか。

 

気持ちを整理してみたのだが、恐らく高難易度の一人用ゲーをクリアすることはもう自分にとって挑戦的ではない、自然的なことになっているのがデカい気がする。クリアに至ったとき、達成感よりも、これまで数々のゲームを攻略してきた経験が残っていることと、その実績にもう1タイトル加わったことを確認しているだけみたいな感覚になっているように思う。もともとクリアできるように設計されているものをクリアしただけという意識になっている。そのうち気が変わるかもしれないが。

 

その一方でマキオンのような対人ゲーは続いているという事実がある。これは対人ゲーなのでやりこんでも必ず勝てる保証は無いし、相手が格上ばかりなので負ける機会のほうがずっと多く、やりこんでそういう相手に勝ち越せるようになるかどうかもわからない。

 

前述した点とくらべると、最終的には勝てることが確約されているゲームを遊ぶよりも、勝てないかもしれない、なんなら勝てない見込みの方が高い、なおかつ勝ちたいと思えるゲーム・・・を遊ぶ方が今の自分にとっては面白いのかもしれない。