「りゅうおうのおしごと!」5巻まで読んでの雑感(ネタバレあり)

結構面白い。

 

勝負の扱い方が予想より泥臭い。弟子にいきなり真剣をやらせて野試合の怖さを教えたり、身内だろうが自分で立ち上がれないやつはどうせ先が無いとして困っている人間に手を貸さなかったり、マッチョ的な価値観が提示されている。これは作者の思想ではなくて、将棋界のメンタルをそのまま反映したため結果として勝負の世界で生き残っていく事の過酷さが浮き彫りになっているのだろう。かなり好み。

 

一番良かったのは持たざる者のあがきを醜く描いた3巻。頼れるお姉さんだった桂香が崖っぷちに追い詰められ恥も外聞もなく年下に教えを請い、自分の将棋を1から見直し、精神的な成長イベントを経た上で盤外戦術を容赦なく身内に向ける姿は結構良かった。5巻でも八一が大事な試合を落として絶望の淵にいる時とってつけたようなヌルいフォローを入れてきたメインヒロイン2人がマジギレで追い返され、その後八一が実力的には弱い桂香が見せた勝負への執念を見て襟を正すなど、そういった面のシビアさは一貫している。

 

結構好印象を持っている作品なのだが、悪い点を挙げると、前述したシビアな切り口に対して、コメディ成分がほぼ八一のロリコンネタか鈍感ネタなどのファンタジーなものに偏っていること。そのコメディパートでも八一のマジメなコメントをロリコン変態発言にねつ造する観戦記者のくだりとか、ギャグとして笑うのは厳しい。本人に非が無いのにギャグで世間体が崩壊する描写が元々好きではないのだが、プロを扱う作品では特に目にしたくない。

 

もう一点気になったのは本作品の恋愛要素推し。

 

八一がハーレムになるのはラノベの虚無テンプレだからで流すが、神鍋が師匠に、男鹿が会長に恋愛感情を抱いているということが繰り返し描写される。それが何かのエピソードと結びつくことは第一部にあたる5巻まで確認できなかった。作者的にカップルを乱立させたい意識があるのか、カップリングが成立しているキャラは八一に惚れることはないですよということを遠回しに示しているのか、どちらの意図があるのかわからない。男鹿にいたっては会長が盲目なのをいいことにメディアの前で恋人のようにふるまうという蛮行に及んでいてかなりキツい。

 

作中正ヒロインと思われる姉弟子に関してもかなり引っかかっている。

 

2巻まではひたすら嫉妬から来る罵倒を繰り返すだけという何の味もしないキャラで、3巻で内面の掘り下げが進んだものの、5巻でダメな方向に転がった。姉弟子は、プロとして超重要な試合直前の八一を私欲でデートに誘う。試合に向けた準備を中断して彼女とのデートを優先した八一は、絶対に落とせない試合で自ら根拠にしていた将棋観を覆された挙句敗北してしまう。

 

デートと敗北が直接関係しているかと言われると微妙だし、デートにokを出してしまった八一にも非があることは勿論だが、勝負の厳しさを承知している姉弟子のことだから、重い責任を感じていることだろうと思っていた。

 

その後、余裕を失った八一の部屋を姉弟子が訪れた時、どうフォローを入れるんだ、大事な試合直前に時間を奪ったことを謝るのか、それとも八一を一喝するのか?と身構えていたが、姉弟子の口から飛び出したのは謝罪でも叱咤でもなく、デートの続き(=キス)をしてもいいというデレ発言だった。

 

当然八一にはマジギレされて口論に発展し追い返されることになるのだが、それまで不遇ながらも勝負の鬼として描写されてきた姉弟子が将棋において非常に重要なプロの試合よりも自身の八一への恋愛感情を、しかも想い相手である八一の状況を無視して優先したのはかなり萎えた(将棋と恋愛、両方とも向き合い方がダメってことになっちゃうじゃん)。弟子のあいも恋愛面で師匠の独占をねらって致命的な外堀を埋めまくっていたが、笑えないギャグとしてスルーは可能だった。

 

3巻で、桂香が「私は将棋が一番好き、八一君は二番目」と言った時、俺は桂香の将棋馬鹿としての心をうまく引き出しながらヒロイン候補ではないということをほのめかすやりかたに感心していた。ところが5巻ではその逆が起こってしまった。

 

6巻以降は周辺キャラクターの話がメインになりそうだが、姉弟子は名誉挽回できるのだろうか。

 

勝負の世界とラブコメ的世界のバランス感覚で言うと、天衣はかなり理想的にバランスのとれた立ち振る舞いをしているので君はそのままでいてくれと願っている。