シャニマス あさひGRADの感想

芹沢あさひは天才である。

 

あさひの独特の感性で物事を楽しむ性質は、これまで"全て"が射程内に入っているかのようにポジティブに描写されてきた。楽しみたいものを楽しむ一方で楽しみの行先は自分が主体となっていて、他者に喜びを届けるという点についてはおろそかになっていた(自分が楽しむことをやるだけで回りが勝手に満足してくれていた)。アドバイスや指示を聞く時もあったけれど、それは言葉の内容があさひの興味の対象へ接近する/しやすくするのに合理的である、あさひが納得できる場合に限られていた。

 

変わってるやつだけどまあ結果出すしいいかな~で済んでいた部分に踏み込む、そもそも社会(P/上司)が期待している事柄にあさひの気が向かなかったらどうなるの?というシナリオ。


こういう若くて独特の生き方をしてる子をあんまり『ふつう』に近づけたくない、近づけてほしくないという欲目がありませんか?俺だけか?

 

王道の筋書きでいくと、大人が子供を"真っ当"に導き、あさひが『ふつう』に"成長"するのが無難な展開だが、そこはシャニマス


あさひが本当に「気持ちを伝える」ことの大切さを学んだかどうかはわからない、それどころかやっぱりまだそば屋の対象を完全には理解できないのではないか?と思わせつつ、それでも修行とGRADを通して芽は確かに埋め込まれているということが最後のPのリアクションで伝わってくる。無限の可能性を持つあさひが自分のスタンスを極端に変質させることのない、あさひに似合う締めくくり方はお美事としか言いようがない。

 

あさひが教わったことが単なるよそゆきのテクニックとして消化されたかどうかを確定させないのは本当にきれいな着地だと思う。

 

あさひがアイドルをやっていて大事なことを理解していないと憤るプロデューサーも、実はあさひのことをちゃんと理解できていないかと思いなおしたり、あさひにもGRAD後プロデューサーだってもっと修行が必要じゃんと指摘されるバランス感覚がいい。どちらが上とかどっちが下とか、指示を出す側と聞く側とか、そういうおさめ方にしていない。

 

爽やかな風が吹くかのようなシナリオ。ご馳走様でした。