NEEDY GIRL OVERDOSE 感想

 

 

本作を楽しむには、雨のパーソナリティを好んだり気にかけたり、なんにせよ雨に関心を抱けるかどうかがポイントになる。しかし雨がJINEやSNSで吐露する本音は”Twitterで見かける人”のつぶやきレベルで、特に興味を抱くレベルではなかった。”尖り”を押し出している作品なのに肝心のキャラクターが尖っている風レベルにとどまっているように感じてしまったのは残念だ(雨は凡庸さの中でもがいているキャラなのだからこれでいいという考え方もあるかもしれないが)。

 

Steamの購入画面からゲーム起動時の注意に至るまでDokiDoki literature Clubを想起するような情報を与えられ、メタフィクション性が強い作品なのだろうかと身構えていたが、実際はその逆を行っていた。典型的なメタフィクションゲームではプレイヤーがフィクションに糾弾される体験を通して作品を”消費”する傾向にあるが、本作ではプレイヤーの存在を匂わせておいて、種明かしとしてその存在をフィクションとして消化していて、構図はまるっきり逆転することになる、つまりフィクションのキャラクター(雨)が、実在する人物(プレイヤー)を架空の存在、フィクションとして消費している(ややこしい)。いわゆるメタフィクション作品では、プレイヤーを糾弾するような説教臭い内容を交えても、最終的にキャラクターも物語もひねったフィクションとして消化され、やがて忘れられてしまうよなあとボンヤリ考えていたので、逆にキャラクター側が率先してプレイヤーから離れていく点は素直に感心した(たとえジャンルとして既に多数の先駆者がいて、その系統の作品に浅識な人間が初めてぶちあたっただけだったとしても)。

 

 

とはいえ、プレイヤーとして溺愛し、幸せになるよう願ってきた雨に突き放されるオチを十全に堪能するには、冒頭で述べた通り俺のキャラ萌えがあまりにも足りなかった。Twitterにいるオタクにせよフィクションのキャラクターにせよ、惹きつけられるには何かしらのフックがどうしても必要になる。誰にでも刺さりやすいフック(NEEDY GIRL OVERDOSEではビジュアルから<闇の深い配信者美少女>設定等、キャッチーさが詰まっている)と、狭い層にだけ刺さるフックがあるとして、前者で該当しなければ後者が噛み合うかどうかになってくる。しかし雨に関してはマジでTwitterで見かける人物像だなあ以上何も感想が無かった。前者も後者も等しく好みの問題だが、前者で何も感じなかったとき、たとえnot for me要素だとしても後者の魅力を探るしか無い。そして俺は心当たりすら見出すことはできず(既に述べたような、凡庸さや俗悪さ等を、雨のしたたかさとしてフォローする設定が用意されているとしても)、キャラクターへの印象が好意的になるようなシーンも無かった。

 

最も楽しめた点は、雨が配信中のトラウマから体裁を保てなくなり、配信の度に嘔吐してしまうようになる結末。いわゆるバッドエンディングだが、雨の精神と配信者キャリアが崩壊してもなお続いていく日々を見せつけられるのは趣がある。バッドエンディングは入り口で終わってしまうケースが多いが、あっけなく終われず、最悪の状況が延々と続いてしまうどん底具合が良い(すぐさま自殺して終わってしまう飛び降りエンディングとは対照的)。