機動戦士ガンダム 水星の魔女の感想(シーズン1)

シーズン1が終了。まあまあおもろい。

 

プロローグ公開時点で少なくともシリアス展開は既定路線と明かされていた。この種の作品を鑑賞する上でよくあるパターンとして、序盤はひたすら平和な世界を見せつられながら、今後のシリアスな展開を期待して伏線っぽい情報にばかり注目してしまって、着火点となる展開が起こるまでの鑑賞時間がひどく退屈なものになるのがあると思う。

 

水星の魔女では1話時点から暗殺事件など裏で暗躍する大人たちの描写を盛り込みつつ、明白に映える決闘シーンや大人の政治ゲームの影響下で揺れ動く子どもたちの人間関係の動きをしっかりやっていたので、ちょうどいい温度感のまましっかりとシーズン1を走りきり、先行きが気になるような情報もたくさん散りばめられていた。これはいち視聴者としてはとても喜ばしい体験だ。視聴者にも印象に残るフレーズとして話題になった「進めば2つ~」の反転のさせ方はエッジが効いてて非常に良かった。

 

・無垢有罪

スレッタは無垢なだけで無知ではない。プロスペラの強烈な扇動による説得があったとはいえ殺人行為自体には抵抗感を覚えていたのだから、俺的にはその重みを自覚した上で踏み切ったはずだ...くらいのさじ加減なら嬉しい。そうなった場合「いや全部親が悪いでしょ」で処理されるのか、「親も悪いけど君の選択でもあるよね」って苦味を混ぜてくるかも気になっていて、今のところ後者を突きつけてくれそうな気配を感じてはいる。スレッタのイノセンスさがプロスペラの誘導でえげつない方向に進んでるのはずっと描写されてきたけれど、シーズン2で。みんなとの絆(主にミオリネ)によって主体性を獲得した、あるいは人間性が増幅したスレッタが呪縛から解放され、母にやめなさい!✋してビターエンドくらいに収まる程度だとガッカリするとは思う。ゴチャゴチャ書いてしまったが、俺のつまんない発想を飛び越えるようなものを拝める希望をもって2期に臨みたい。

 

・シーズン2に期待していること

①ハイパーシリアスビジネスウォー②GUND医療再興の行く末≒株式会社ガンダムの今後③アーシアンスペーシアンの対立④GUNDフォーマット戦争運用者の末路⑤子どもの自立...etc

 

雑にあげるだけでもこういう諸々が今後の展開で気にかかる点として残存しており、そこに各キャラクターの余白(プロスペラの復讐、シャディクの目的、グエルの未来、スレッタの解放?等)まで絡んでくる。

 

このこんがらがった諸要素をいい感じにひとまとめにしてcarryしてくれそうな中心人物は、視聴者目線ではミオリネしかいない。ミオリネにはスレッタを助けるために即興で株式会社ガンダムの設立とGUND研究再開を通させ、その場しのぎから出た誠で父との和解、新事業の開始に至れた実績がある。前述の諸要素をシンプルに個別撃破で済まされてもそうですかで終わりそうなので、これらを(おそらくはミオリネが主軸となって)どのように解きほぐしていくのか、鮮やかな回答が待っているのか、そこらへんをシーズン2で楽しみにしている。

 

 

・”地獄”概念をねらった悪趣味マーケティング(?)

www.w-aerialcp.jp

 

アニメ自体とは関係のない余談。放映中はアニメのコラボ菓子に強いメッセージ性があるのではないか/あるだろ系の言及をSNSで見かける機会が非常に多かった。

 

エラン『直火で炙った 焼きとうもろこし味』、グエル『濃厚 チェダーチーズ味』、ミオリネ『フレッシュトマト味』を冠するこれらの商品は実際本編中のシリアスな場面を暗喩しているようにとれる──多くの視聴者がそのように受け取っているのもあり、おそらくは最初からそういう狙いで出したのだろう。

 

心が抉られるような/凄惨な展開は人の心を躍らせる。家庭用ゲームでも「鬱要素」が話題の中心としてまとめサイトに取り上げられるようなケースがインターネット上にはあったし(一時期のパワポケシリーズとか)、とにかく枚挙に暇がない。このブログを読んでいるような方はすでに該当するタイトルを複数連想しているのではないか。

 

「地獄すぎる」「人の心がない」これらのフレーズはとうに陳腐化して久しい。発言者自身に鎮痛な気持ちは無く/あるいは薄く、ただくすぐったい気持ちを抑えるような、苦笑いをするような気持ちで言っているだけで、カジュアルに最悪な状況を"地獄"と称して茶化すのがスタンダード。本当にダメージを受けている("地獄"に打ちのめされている)ひとの様子が第三者に公開されるかたちで注目を集めたりもする。

 

つらつら書いたが、”地獄"概念を白い目で見る崇高さを持つべしと唱えるような思想は持ち合わせていない。悲劇や惨事が行き過ぎるとそれを観測している第三者視点では反転して喜劇に見えてしまうなどというのはよくある話だし、”地獄”概念を巧みにコントロールしている『This コミュニケーション』は喜劇への反転を見事に成功させている具体例としてかなり気に入って購読している(念のため失敗例も挙げるなら、俺的には『メギド72』9章終盤で主人公の仲間たちの尊厳が本気で破壊されつくす展開が該当する。それまで展開のバランス調整が上手だった反動もあってか、俺の観測範囲でも結構な人数がドン引きして離脱していった)。

 

"天然でやってるから面白い事柄が実は計算だとわかると白けてしまうのと同じように、"地獄"概念の肝はオーディエンス側が自発的に囃し立てるからこそ盛り上がれる。その点Wエアリアルキャンペーンはバランス感覚が優れていて、形式が露骨すぎず、だがそっと添えられた情報が明らかに天然モノのそれではないと示唆しており、オーディエンスがちょうどいい感じの境界線上で身を委ねてくねくねできるような塩梅に調整されている。本気で怒ってる人を見かけることもなかった。ああこれがプロのやる『悪趣味マーケティング』なのだなあとしみじみさせられた。

 

 

・脳内から存在が消えてたキャラ

 

Twitterで回ってきてハッとしたやつ

完全にこいつらのこと忘れてた。いま思い返しても現状では無数に存在する視聴者に向けたフックの一つ程度の印象しかないが(その役割他キャラで代替できね?くらい)、シーズン2前になったら整理する予定

 

※余談からの余談

 

"地獄"概念の存在自体はいいが、なんでも地獄認定団になるのは回避したい程度の気持ちはあるため、

・自分が鑑賞中/後、作品の惨状を喜劇に反転させるような温度感になっているかどうか

・個々の"地獄"概念的ジョークや発信がそもそもその時にユーモラスに感じられたかどうか

を判断基準のコアとして対応している(単純に面倒を増やすだけになるのは嫌なので、そもそもジャッジまで至らずにスルーすることも多い)。

 

作品をカジュアルに消費するのか、シリアスに体験するのかは自分の態度と感性・嗜好に依る、というのは自明だが、肝要なのはロジックの精密さではなく、個人が真に私的な姿勢をどれだけ実際に貫徹できるかという姿勢そのものと思っている。【Life is strange』でのマックスの言及──「映画版ファイナルファンタジーは誰がなんと言おうが最高」精神と同じように(スクエニがパブリッシング関わってるからこその茶目っ気あるメタ発言にすぎないとかはさておき)、自分が神聖だと感じられたものは他者に認識を汚されることなく、その座に就かせたままにしておけるようにしたいなあと考えている(人間の思想には変化がつきものなので、過去と現在にどう折り合いをつけるかも重要になる気もしつつ)。