断ち切れ!オリベーダイス 感想

断ち切れ!オリベーダイス - 松田タクミ | 少年ジャンプ+

 

後悔や未練、そこからの立ち直りをメインテーマとして扱う作品は多い。たぶん一定の需要がある。俺も大好物だ。ここでは適当に”自省系作品”と呼んでおく(極端にとればだいたいの作品がこのカテゴリにおさまってしまうかもしれないが、温度感とかニュアンス的にはこれ一極の作品と受け取ってもらえれば...)。

 

このような自省系作品、主人公の心情が本人による一人称で語らせる場合、読者が白けてしまうリスクを負っている。やり方を誤ったりスベると作者が言わせたいことがそのまま出力されてるだけだなあと映ってしまったり、自省がテーマに組み込まれていることが悪い方向に作用し、自己陶酔的なあざとさが醸し出されてしまったりする。心情描写の味が感想に直結するジャンルなので、読者が一瞬でも真顔になったら終わる。作品への印象はチープだったなあくらいになってそのまま読者の記憶の片隅に追いやられる。

 

だからこそ工夫が必要になってくる。オーソドックスな語りから少しズラすのもそのひとつで、例えば『太陽の塔(森見登美彦)』では失恋した大学生である<私>の無駄に高尚なモノローグが終盤まで貫徹されている。<私>によって文学的(?)に装飾された言葉が重なれば重なるほどかえって強がりが透け、高潔を気取った先の低俗さにおぼれる様子など、滑稽さを容赦なく強調する一方、強がりのなかで弱い本音が一瞬垣間見えたりもするし、『耳刈ネルリ』シリーズ(石川博品)では主人公レイチの心情描写に意図的な電波妄想が混在して彼の真意が100%伝わらないようになっている(不評だったのか、2巻以降妄想はやや控えめになっている)。

 

本題が遅くなったが、この手の自意識を語る話で印象に残るレベルの作品には語り方自体にも注意や工夫が見られる、そんな印象を持っているという話を書いておきたかった。

 

 

 

『断ち切れ!オリベーダイス』のモノローグはユニークだ。オリーの心中をそのまま語らせているだけ...ではないことが開幕の「これオリベーダイス」でサクッと表現されている。

 

ダサい意地を張る、無駄にカッコつけようとする、その一挙手一投足の内面をオリー本人ではなく、彼の真意を把握している謎の第三者に語らせるのは素直にうまいと思った。この漫画ではナレーションがフィルターとして機能していて、オリーが直接読者に訴えかけてくるようないやらしさが抑えられている。

 

ドラゴンの名称、スープ虫チンプラなどがテンポよく登場し、全てがゆるいナレーションと共に登場するようになっているので、読者目線では個人の悲壮さを本当にちょうどいいレベルで味わいながらちょうどいい塩梅で悲しい気持ちになりながら読み進められる(オリーすまねえ)。

 

ドラゴンが列車に突っ込んできてもオリーが考え事を優先する場面とか、いかにもフィクションっぽい外連味の利いた演出なんだけど(列車が激揺れしたらまず周囲を警戒するのが普通の反応だろう)、オリーの心情と記憶をきっちり追体験させられているからこそガチでヤバい状況下でも私情を優先する姿をすんなり受け止められる。

 

 



このあとオリーがマジの凄腕と判明するため、極限状況下で一人冷静に個人的な煩悶を続けた振る舞いに説得力が出るのも好き。ここだけでも語り方、描写、展開のテンポ良さのセンスが詰まっている。

 



この「小さな抵抗」自体は評価しつつ、いざハンバーグが微妙だと即座に酷評する割り切りっぷりも良かったし、オリーが彼女の前で弱さをさらけ出せなかったことを後悔しつつも、現在の振る舞いを改めるとかじゃなくて後悔を断ち切るだけで現在の振る舞いを変えようとは決意しない方向性も肌に合う。

 

ジャンプ+の読み切り毎日全部読もうとは思わないけど、ピンと来るタイトルやサムネが見えたら絶対読んでおこうと考慮するレベルにはなった。面白かった!