ランガスタラム 感想

 

面白かった。映画館で観終えた直後はなんだこの映画!?って感想だったけど、時間が出すごとに味わいが増す系。

 

 

物語の空気感が二転三転する本作だが、インドという異国の、異文化の作品であることを意識的に了解した上での鑑賞態度が作品内容とちょうど嚙み合うつくりになっている。インド映画を少々見てるだけの俺でもふんだんなダンスシーンや我の強い人物によるマッチョなコメディシーンがインド映画ではよくある要素ね、と吞み込める一方、そのさなかに不穏な描写も存在しているが、作品自体が途中までヒューマンドラマ・コメディに偽装しているものだから、それが本質的な情報なのか、制作の意図と異なる受け取り方をしているのかも観ている最中は検討がつかない。インド映画って素でやってることと狙ってやってることの区別がつきにくいときがあり(日本人なので)、それ故の見通しのつかなさに、物語の決定的な分水嶺となったクマール・バーブ殺害が発生する衝撃はすさまじい。作中随一の武力を持ちながら日常生活では人のいいアホでしかなかったチッティがが即座に無慈悲な殺人者として覚醒、難聴なので相手の呼吸を確かめながらとどめをさしていく嫌な地頭の良さまで見せつけていく入念な描写は直前の金ぴかクイーンに夢中になって踊っていた様子とのギャップがすさまじく、感心すらさせられた。

 

クマールを失い、チッティのとる手段がますます暴力に傾倒していく点に悲哀がある。チッティは暴力装置たるプレジデントの取り巻き達すら瞬殺できる武力を持ちながらも自分独りではクマールを守り切れないと判断できる程度の知性を持っていたが、兄の本懐であったはずの生活構造の改善には目も向けず、報復に没頭していく。

 

こうしたチッティの様子がプレジデントの在り方と似ているのは興味深い。プレジデントはソサエティによる搾取に異を唱えた人間を暴力で葬るし、部下がボコられたら自分が通じている国家権力を文字通り暴力装置としてよこすし、お前もう終わりやん笑と言ってきた部下も無計画に殴殺してしまう。短絡的な暴力での反射的な報復に出る性質は両者とも似通っており、おそらくチッティは優しい家族、とりわけクマールがいたから日常側に留まれていたにすぎない。そしてそのクマールが亡き者となった瞬間チッティの日常は粉砕されて暴力による報復以外の道が目に入らなくなり、ランガスタラムのハッピーエンドは消失した。

 

ランガスタラムには階級差別などの要素も出てくるが、社会派的な作品とは全く捉えていない。というのも、もともとクマールが志していた生活構造の改善などの使命を引き継いだランガンマはさっさとシナリオからフェードアウトしてチッティの復讐に焦点が当たる構成なので、驚異的な意志力によって真相にたどり着いて復讐を完遂したチッティのキャラクター映画として観るほうが無難だ。

 

鑑賞直後こそ「いや最後のツイスト要る!?別にプレジデントがメインヴィランのまま気持ちよく終わっても良かったでしょ」と思ってしまったが、清く正しい社会的・人道的正義を宣言するのではなく、あくまでも社会正義と対立するような、仄暗い個人的な達成目標を一直線に目指す作風もまた味わい深いものであり、これはこれで良かったなという心境に落ち着いた。

 

主演が同じラーム・チャランということで宣伝文句でも引き合いに出されている『RRR』だが、ランガスタラムのアクションは、バトルアクションをメインのウリにしている『RRR』とはさすがに比較にならない(宣伝で『RRR』の名を強調しているのは商業的には正しい一手と感じる一方であこぎな謳い文句だとさめてしまう面もある)。

しかしながらチッティの速戦即決描写は非常に爽快で、特にプレジデントの部下が大勢の前で祖母を侮辱していたことを知った直後の迫力あるカメラワークと共に迫力あるまなざしで歩んでいくチャランとそのまなざしが伝えるは躍動感はスクリーンから闘志があふれでていて、素晴らしかった。しかもおそらくこのシーンを不義に鉄槌をくらわす道徳的な高揚感をもって見つめてしまうと、その後チッティが無慈悲に刺客を鏖殺していくシーンが登場することによって部下を本当に容赦なく殺すつもりだったことが判明して気まずい心持ちになるような構成になっている。暴力エンタメとしての爽快感をそのまま作中の不穏さに書き換えることに成功している作品は中々見かけない。希少な味がした。